上げて落とすということ(自分語り)
ご訪問いただきありがとうございます😊
今回はタイトルの通りですが「上げて落とす」ということが、どれほどに悲しいものか、自分視点で綴っていきます👍
上げて落とすというのは、天国から地獄に突き落とされるようなものです。
例えば、私の場合ですと、
こんなことがあると私はとても悲しくなってしまいます😭
もしかしたら「建前」「社交辞令」の範疇なのかもしれません。
私が建前や社交辞令を理解していないからこそ、悲しくなってしまうのかもしれません。
私が期待しすぎていることが原因なのかもしれません。
でも、「読んだよ!」「読みたいから教えて!」のようなことを言われれば私はそれを疑おうとは思いたくないのです。
「信じている」「信じたい」
でも、行動や履歴を見ればそれは。。。明らかです。
なので、私はお世辞や建前というのがとても嫌いなのです。
「ねぇねぇ、これかわいいかな?」と言われても私はかわいくないと思えば、似合っていないと思えば「ん〜かわいいというよりキレイかな。こっちのほうが似合うんじゃない?少なくとも私は好みではないなぁ💦」と伝えます。
「この本、読んでみて!」と言われれば、「私は興味のある本しか読まないんだけど、どんな本?」と聞いて、興味がなければ「ごめん><;興味を持てないけど少しだけ読んでみるはみるけど、全部じゃなくてもいい?」と聞きます。
期待させるだけさせておいて、喜ばせるだけ喜ばせておいて、あとでその人がガッカリするよりも、期待して待ち続けるよりも、その時に少し「下げて」おいたほうが、その人の悲しみ度合いは軽減されるのではないかなと思っています。
もちろん、わざわざ下げなくても期待させるような言葉を言わなければ良いだけの話しです。
そして、あとから「とっても良かったよ!こういうところ最高だね!」とか「やっぱり私にはあまり理解できなかった><;ごめんよ〜><」と伝えるようにしておけば、本当の意味で喜んでくれるし、前もって興味がないと伝えているからこそ、すんなりと受け入れられるように思うのです。
何日に読むね!と約束をしたのであれば、私はその約束は守ります。
上げるだけ上げておいて、下げられるのは本当に悲しいです。
今まで生きてきて、こういうことが本当に多いです。
その時の相手は、約束を守るつもりだったのかもしれない。
その時の相手は、本当に興味があったのかもしれない。
その時の相手は、ただ見栄を張りたかっただけなのかもしれない。
その時の相手は、建前や社交辞令だったのかもしれない。
でも、その場だけをやり過ごすのではなく、その後に感じる相手の気持ちも考えて欲しいなと私は思います😊
そして、私も上げて下げることになっていないか、上げて下げることにならないかを考えて発言、行動していくことを心がけていきます👍
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