私の憲法観

 もし,エヴァのように現実の日本が「戦略自衛隊」を持つようになったら,アメリカの戦略軍のように核を運用する部隊になるだろう。フィクションはフィクションで我々ミリオタの心をくすぐるが,実際に日本が核武装するのは嫌だ。もし憲法改正されたら,次に議論の俎上に載せられるのは核武装論だろう。

 今まで日本政府が非核化を推し進めていたのと矛盾してしまうし,被爆者の方々の心を踏みにじる事になる。現憲法下で核武装は「必要最小限度の自衛力」とは到底認められないだろうが,自民党改正草案(https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf)の通り「国防軍」となった場合,箍が外れてしまわないか少し心配している。

 さて,本県,宮崎県選出の自民党の衆院議員で,法務大臣を努めておられる古川禎久氏は昨年の第49回衆院選で「将来にわたって検討すべきではない」,公式HPで「核兵器禁止条約に署名すべし」と述べられているが,2012年の第46回衆院選の際は「今後の国際情勢によっては検討すべきだ」と回答している。

衆議院議員 古川よしひさオフィシャルウェブサイト 政策コラム
http://www.furukawa-yoshihisa.com/policy.html

自民 九州 古川禎久 | 第49回衆院選 | 毎日新聞
https://mainichi.jp/senkyo/49shu/meikan/?mid=D11001003019

2012衆院選 宮崎3区 古川 禎久 - 毎日jp(毎日新聞)
https://senkyo.mainichi.jp/46shu/kaihyo_area_meikan.html?mid=A45003002002

 元々核武装を部分的に容認していた古川氏が軌道修正したのか,それとも今でも「今後の国際情勢によっては検討すべきだ」と考えられているのか。疑問に思う所だ。私も県民の一人として,本県選出の大臣誕生に喜んだが,核を巡る姿勢に少し不安も感じる部分もある。

 もしかすると,「『将来にわたって検討すべきではない』,ただし『今後の国際情勢によっては検討すべきだ』」というお考えで「考えは全く変わっていない」のかもしれない。自民党は日本会議の影響も強くあったりもするし。自民党は支持するが,日本会議はちょっとと私は思うので…。ここがどうにも。

 現憲法でも「必要最小限度」と認められれば,解釈変更によって理論的には核武装も可能なのかもしれないが,憲法改正によって核武装により近い道をたどらないか,心配なのである。

 確かに自民党の改正草案には9条の平和主義の理念は残っているといえば残っているが,「(國際紛爭を解決する手段としては、)永久にこれを放棄する」が「(国際紛争を解決する手段)としては用いない」になっていたりするので,「永久放棄じゃないから核武装も可能だ」ってなったりしないだろうか…。

 私も元陸上自衛官の浅田次郎氏の『歩兵の本領』を自衛官を志していた中学生の時に読んで(今も愛読書の一つだ),60年代~70年代頃の安保闘争があった頃の自衛官の方々が大変な思いをされた事を知っている。あの朝霞の赤衛軍事件の影響で警衛が銃剣のみならず実弾とともに64式を持つようになったそうだ。

 左派の自衛隊違憲論は今となってはあの時程の盛り上がりはないと思うのだ。最大野党だった社会党も村山政権時代に自衛隊を合憲と認めている(https://www.nikkei.com/article/DGXKZO92948460Y5A011C1TZJ000/)。与党となった時は認めて,野党の時は認めないとどっちつかずな部分はあるが,社民に名前を変えた今ではどの道あの頃の勢いはない。

 衆議院ホームページにある憲法審査会の資料では「侵略戦争の放棄」に重点を置いて解釈するとある(https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/1800531_point.pdf/$File/1800531_point.pdf)。長沼ナイキ事件の第一審判決では9条と1928年の不戦条約との類似性を指摘し,「本条項では、未だ
自衛戦争、制裁戦争までは放棄していない」とした(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/841/017841_hanrei.pdf)。

 私も自衛戦争を放棄していないという解釈だ。制裁戦争についても場合によっては認めていいと思う。実際,テロ特措法を作ってアメリカの対テロ戦争の後方支援を行った訳だし…。直接戦っていないといえば戦っていないのだけれど,(対テロ)戦争に部分的に参加したといえば既に参加しているとも思うのだ。

…と学者でも学生でもないけれど,いろいろとダラダラと書き連ねてしまった。法学部受けるべきだったのかなぁ…(コミュ障なので対人関係に難がある)。私の考えは弱点を指摘しようとすれば,弱点だらけなのだけれど,まあ完璧な論理も,また完璧な憲法なんてものもそもそも存在しないのかもしれないと思う。

 改憲によって政府が今までの自衛隊違憲論を暗に認めてしまうという事にならないか,というのも心配ではある。これまで合憲ならそれでいいじゃないか,と。安保法制,政府で言う所の平和安全法制によって自衛隊の「動きやすさ」はかなり向上した(立民辺りには安保法制違憲論がちらついていたりするが)。

 まあ,過去にもいろいろ書いていたりするので引用リツイートという形で今更ながら再掲しておきたい。「憲法 (from:AyumuOzaki since:2013-09-20 until:2022-12-31) 」とTwitter内の検索バーで探せばいろいろ出てくる。

https://twitter.com/AyumuOzaki/status/1494250269655576578

 まあ,所詮は私の投稿も素人の戯言なので,あんまりムキになって反論されたり,論破されたりすると私も人間ですので凹みます(それと根暗なので結構引きずります)。まあ言いたい事言ってるだけじゃ駄目かもしれない。そこそこ私も反論を受けないと,という気持ちもあります。

https://twitter.com/AyumuOzaki/status/1494250280560775168

 あと一つ,思うのは9条はもはや既にそこそこ死文化していないかという事。国連憲章の敵国条項のように。いや,確かに明文化されているから効力はあるけれど,まだ存在はするのだけれど,あまり効果をなしていないというか。先述の浅田次郎氏は著書の中で確か「異形の軍隊」と表現しておられたと思う。

 憲法については小学生の時点で読んだ事があったし,私も戦後の教育を受けた者として中学生の頃には「公民」の教科書でも全文が掲載されていた事もあって,『日本國憲法』は崇高な理念を表していると信じている。まあ,建前として,だけでも変えず残しておいてほしいのだ。建前なら日本人らしいと思う。

 70年間変えられていないというのも硬性憲法として重みがあるが,やっぱり前文の存在と御名御璽の存在も大きいと私は思う。民定憲法っぽさもあるし,欽定憲法っぽさもある。GHQによる押しつけ憲法論というものもあるが,それでも昭和天皇,先々帝陛下の御名が書かれている事にも重みがあると思うのだ。

 建前とか,ある種の曖昧さといったものが我々日本人は好きだという話を聞いた事がある。今回のコロナ禍だって法的には諸外国よりもそこまで強い規制をしなかった。曖昧といえば,曖昧なままここまで来てしまった。かつて「さざ波」と表現して批判された人もいたが,それでも感染者数は海外より少ない。

 それともう一つ。といってもこれは私情なのだが,私の「知人」。これは友人というべきか,なんというべきか難しいのだが。その私が今でも敬愛する人の身内が自衛官で,知人が私に「どうしてあんな遠い所まで行かなくてはならないのだろう?」といった趣旨の事を聞いてきたので,私は次のように答えた。

「海賊対処は自衛隊の任務の一つだから。資源の少ない日本はシーレーンの防衛が大事だ」。まあ,これを言ってしまったら,先方の身内の所属が陸海空のどこか絞られてしまうので,先方からはまた叱られてしまうかもしれない。プライバシーや防衛機密にも触れそうな気がするので,これ以上は割愛する…。

 今思い起こせば,その場で共感や連帯の意を示すべきだったと思う。後悔している。まあ,私も母方の実家にどこかの師団もとい部隊章と日の丸,それとイラクの国旗が描かれた盾があったり,戦闘糧食I型,いわゆる缶飯(の中でも「とり飯」)を食べた事があったりするので…。盾がなぜあるかは分からない。

 空母やトマホークの保有も賛成だし,自衛隊の海外での役割が拡大する事には大いに賛成だが,先述の私の知人の身内が自衛官として今よりも危険な地域に派遣されて,もし万が一命を落とすという事になると,私の敬愛する知人はその家族として酷く悲しむ事になる。それは私としても実に心が痛い事なのだ。

 まあ,そういうこじらせた私情もあって,私は護憲を唱えている訳で。私は今でも自称保守の愛国者だが,今よりそこそこバリバリの嫌韓主義者でネトウヨだった小6から中1くらいの時も実は憲法改正に同調した事はないので,「お前はネトウヨではない!」と言ってもらえると私にとっては救いだったりする。

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