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孤独で苦しいけど自主制作をやめたくない

何か作品を作って、望むようなリアクションが得られない時がある。見せても「へ〜そうなんだ〜」で流される時がある。あのときの気持ちは、本当に嫌なものだ。

イライラする。やらなきゃよかった、見せなきゃよかった、まで思う。(これはちょっとあとから冷静になって、いや、やったこと自体はよかった、となるけど)

このいらだちは、「イラスト」に関連する成果物についてのみ起こる。特に、自主制作に顕著である。仕事だったら、クライアントが喜んでくれれば充分でそれ以上は求めないし、「デザイン」「グラレコ」に関しては、人のリアクションがいまひとつだったとしても、多少悲しくはなるが、ここまで強い感情は起こらない。

絵や漫画が、自分自身を投影しているどころではなく、自分そのものだからだと思う。わたしはたぶん、自分の分身を世に放って、世界とコミュニケーションをとろうとしている。だから、リアクションがないと、「存在を無視された」ように感じる。孤独だ。みじめだ。

感じ方も、好みも、人それぞれでよい。誰かの感じ方を強制する権利は私にはない。それに私自身が、なにより、感じ方の自由を奪われることが大嫌いだ。

だから余計にイライラする。自分の苛立ちが、他者の権利侵害に値しうることに気づいているからだ。このときの苦しみは、まさに「煩悶」。



自主制作に付随するこの苦しみに、どう向き合うべきか答えはでない。ただひたすらに苦しい。やめてしまえばいいのかもしれない。もっと営業とマーケティングに力を入れて、受注仕事を増やして、その効率を良くしていけば、売上を伸ばすこと自体はできる。

でもやめない、やめられない。すぐにお金にならないし、時間もかかるし、疲れるけど、やめたくない。自分はいいと思っているからだ。ほかでもない自分が「いいじゃん、いいの作れたね!」って言ってくれるからだ。ほんでたまに、誰かしらが、すごく気に入ってくれて、思わぬご縁がつながることがあったりするのだ。

人気者にはなれない、バズりもしない。それでもわざわざ続けるのはなぜ。よくわからない。でも自分が自分を支援しているから。そうしてるうちは、やめる理由がない。

いつだってそうだったかも。自分が自分を諦められなかった。器用な生き方ではないことはわかっているけれど、「がんばれ!きっとできる!」と言ってくれる自分がいる限りは、痛い痛いと思いながら、こうするしかない。

ほっこり、安心、ワクワクドキドキするイラストを届けていきます!また読んでいただけたらうれしいです!