希望が攻めてくる

誰も自分の話を聞いてくれないとか、誰も自分のことを分かってくれないって思う時、今までもあったしこれからもあると思うけど、そういう気持ちの根源はなんなんだろうと思う。
分かって欲しいと思う反面、分かって欲しくなんかないよっていう別の自分も同時に存在していて、もはや辛いのか悲しいのか苦しいのか、そんな感情も忘れちゃったというか捨ててしまった、というか、捨てられた、というのが1番しっくりくる。自分に捨てられた。

働き方、生き方、暮らし、家族、大切な人、大切なもの。
守るために日々を過ごすのだろうけど、ただ息をしてるだけじゃダメなのか。
大切なものがないと生きてちゃいけないのか。
そんなのは自暴自棄だと言われると、それはそれでまた違う。
複雑、絡み合う、縛られる、足枷、パズル、一生かかっても解けないもの。
いつから単純じゃなくなったんだろう。同じことの繰り返しじゃダメなのか。
将来のビジョンをしっかり持ち、そこに向かって突き進まないといけないのか。

不自由だからこそ自由に憧れているのか。
自由って不自由って何に対してそう思ってんの?わたし。

ただ川が流れてるみたいに、サラサラと生きちゃダメなのか。
今のわたしは、なんだかザラッとしてるように思う。


・・・って、散歩の時に見かけた、鴨が川底に頭を沈めて餌を食べている姿、眺めながらふと思ったことです。
今日もかわいかったな、鴨の足。