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93.罪悪感をなくすために、健やかな生活をする

そういえば先日の通院で、そんなにひどくはないですが、鬱に傾いている期間が長過ぎるということで、お薬が少し増えてしまいました。あちゃー・・・。
夕飯後だけ飲んでいたのですが、明日から朝も飲むようになります。
こういう時に感じる「罪悪感」。なかなか消えないものです。

どうして罪悪感を感じてしまうのか。
今までは、例えば生理痛や偏頭痛など起きた時に、なにも考えずすんなり痛み止めを飲んでいたはずです。胃潰瘍で苦しんだ時だってそう。
痛みや辛さがなくなるなら、一刻も早く飲ませてくれーと素直に薬にすがっていました。

なのにどうして、心療内科でもらう薬に対してだけ、罪悪感を感じてしまうのか。
治す(安定させる)という目的は同じなのにね。
だから堂々と飲めばいいんです。もっと胸はって飲みなさいわたし。

働くこと=善、働いていないこと=悪、なのか。
これはずっと考えていることです。

だから「休む」ということが難しいと感じるようになり、罪悪感も消えない。S先生や家族や事情を知っている人からは「ちゃんと休みなさい」と言われるけど、一歩外に出てみれば、いきなり風当たりが強くなります。

それは別に「働きなさい」と誰かに言われたわけではありません。でもいろんなお仕事で世の中が回っているというのは確かなことなので、外に出た途端にそれをマジマジと感じ、小さいことにいちいち反応しては、ほんの小さな米粒ほどの罪悪感をその度に積み上げてしまうのです。

知人やS先生や家族には「休みなさい」と言われ、出かけると「働きなさい」と言われているような感覚に陥る。じゃあどうすればいいんですか?と毎日のように思います。

それなら自分は「どうしたいのか」。
どうすればいいの、という他人に任せるような問いはせず、自分の気持ちを確かめてみます。
すると出てくる答えは、
「どうでもいい」
投げやりな気持ちしか出てこないんです。
自分に対してどうでもいいと無責任に言い放てるなんて、生きたくないと同じようなことです。

ちょっとグチみたいになりますが(さっきからずっとそうだけど)、要するに「傷ついた」んだと思います。この約半年間で。
そして自分の中から出てくる罪悪感に、まんまと潰されたってことです。

罪悪感に潰されている限り、わたしは休めていない。

じゃあその罪悪感をズタボロに打ちのめすには、どうしたらいいのか。

今のわたしはなにも思いつかないどころか、家に閉じこもり気味になっているという籠城具合なので、信頼できる知人に素直に相談しました。
思っていることを口にすることはできても、人を頼って相談するという試みは、もしかしたら初めてだったように思います。

「少しずつでいいから健やかな生活を目指してみたら?」

それが知人の答えでした。

今日はちゃんと朝ご飯を食べることができた。
今日は朝ご飯の目玉焼きの上にベーコンを乗せて食べることができた。
今日は朝ご飯の目玉焼きの上にベーコンを乗せ、さらにサラダも食べることができた。

そんな感じで、少しずつやれることを増やしていけば、このままでいいんだろうかという漠然とした不安や、ついでに罪悪感も減っていくんじゃないか、ということです。
なるほどね!
夜に走りたくなったり、朝型の生活に切り替えていったのも、無意識にそう思ってたんだなと納得しました。

いきなり高みを目指すのではなく、大人にとっては小さい子の目標みたいな些細なことだけど、そういうところからちょっとずつ始めていくことで、自分への自信も取り戻せるかもしれません。

ついでにその過程を記録していこうと、新しいノートも広げられました。
今までは予定を書き込んだり、今の生活を具体的に記録していくことも怖かったのに。

良さそうな作戦をありがとう。