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解離性離人症もらった

先日、最後のカウンセリングに行ってきました。今までのフィードバック。
これで先生ともお別れかーと思うと、若干寂しくもありました。
でも考えてみれば、先生もわたしもマスクを一度も外さなかったな。マスクの下はどんな顔だったんですか先生?
わたしは唇の色が紫の、ヒーローと悪役に分類するならば、間違いなく悪役の顔です。しかもすぐにやられるおっちょこちょい。ゲームで言うならチュートリアルで出てくるやつ。

話を戻して、最後のフィードバック、やはり解離性離人症という肩書きをきちんと取得しました。
先生から言わせると、シビアなんですって。シビア。シビアン。シルビア。シルビア?
このカウンセリングを通して、自分が何を思ったか、どう感じたかを説明してくれと言われて、淡々と答えていたのですが、その答え自体がもう離人症の症状と一致するそうです。
へー。そうなのか、わたしはいつからこうなったんだろう。

先生は物心ついた時には、もうそうだったんじゃないかっていう見解でした。
わたしの家庭環境はちょっぴり複雑で、でも幸せじゃないと思ったことはあまりないのだけど、金銭的な問題と、あと父の破天荒さ、母の天然さ、そしてそんな2人が歩んできた摩訶不思議アドベンチャーを考えると、あながち間違ってないんだろうなって、少し納得しました。

だから、離人症になる前となった後が比べられないのです。どーなんだろーね。物心ついた時からそうだったから、みんなそうなんだと思ってた。
人が離れると書いて離人症。解離と書いて連続して持つべき精神機能が途切れている状態。
なんだか文字に起こすと深い。しかも解離性離人症という漢字は、書くのがめんどくさい。

でも考えれば考えるほど、自分を守って生きていくための一種の防衛本能がそうさせることで、もしこの先、何らかの治療だったりカウンセリングにより、その防衛本能が薄くなっていくことを考えると、裸で世の中に出ていくようなもので、到底勝ち目はないだろうし、まずその前にポリスが来る。

先生はそういった防衛本能をなくすのではなく、うまくバランスを取って、自分を運転できるようになれば、それでいいんですよって言ってたけど、それにはやはり年単位で時間がかかるそうで。

双極性障害も鬱も解離性離人症も全てが年単位って言われる。
次のオリンピックの時には、何か変わっているのだろうか。アスリートか!

理解を深めたい、結局わたしは一体なんなんだ、誰なんだってことで、YouTubeで検索して、いくつかの動画を観てみました。
そしたら、YouTubeの中の人が言っていることが分かりすぎてキツい。そーなんです、わたしの気持ちを代弁してくれてありがとうございます。仲良くなれそうですね、今度一緒にご飯でもどうですか、そうですね、この間叙々苑の写真を見たので、叙々苑なんてどうでしょう、お会計はどうしましょうかね、男気じゃんけんでもします?

3つくらい観たところで、頭痛がきて頭から蒸気が吹き出しそうになったので、それを使ってお湯を沸かしてみたかったけど、紅茶を飲む気分ではなかったのでやめました。

これからどうするのか、何をするのか、はたまた何もしないのか。
どれがいいんだろうね。自分をうまく運転できる人なんているのかな。わたし免許持ってないんだけども。

ともかく、カウンセリングが終わったところで、ひと段落ついたよーっていう話。
あと、先生のマスクの下を見てみたかったなーっていう話。
そして叙々苑に行きたいという話。
でも病院の近くのてんやが美味しかったという話。
てんやはオールスター天丼で決まりだなという話。

そんな話でした。