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5歳のわたしは、フランスに恋をした

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二度のパリ生活や、留学、家族旅行などでフランスを訪れては、第二の故郷のように感じてきた筆者の目にうつる「フランス」を言葉にしていくエッセイ集。家族とのゆかいな思い出や、フランスの…
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2023年7月の記事一覧

パリの音楽一家の3姉妹

中学一年の冬休みに、家族でパリに行ったときのことをよく覚えている。 パリのレアール(かつて大きなパリの中央市場があった場所で、今では東京でいう渋谷のような繁華街)のすぐ近くにある、父の友人家族の家に食事に招待されて行った。 昔ながらのパリらしい古い建物なのだけど、アパルトマンというにはずいぶんと天井が高くて立派な、お屋敷のような家だった。 そして、その家に住んでいるのがまた、とても上品で育ちのよさを感じる音楽一家だった。オーストリア人の旦那さんと、フランス人の奥さん、わ

わたしのヌテラ人生

子どもの頃から好きな、フランスの思い出の味といえば、ヌテラ(Nutella)とオランジーナ(Orangina)は欠かせない。 「ma vie de nutella(わたしのヌテラ人生)」というメールアドレスにしていたことがあるくらい、ヨーロッパの家庭でおなじみの、ヘーゼルナッツのチョコレートペースト「Nutella」が大好きだった。 パリの町のあちこちには、小さなクレープ屋さんがたくさんあって、子どもの頃からよくクレープを買ってもらって食べ歩きをしていた思い出がある。

チュニジアで過ごした10歳の夏

10歳の夏休みに、久しぶりに飛行機に乗ることになった。行き先は、フランスではなくて、アフリカのチュニジア。両親の友人のフェティ一家が毎年夏のバカンスを、フェティの故郷であるチュニジアの別荘で過ごしているというので、いつか一緒に行かせてほしいと話していたのだ。 ヨーロッパ大陸の次に行ったのが、アジアでもアメリカでもなく、アフリカだったことは、わたしの小さな自慢である。ちょうど小学校の夏休みにあわせて、3週間ほど、チュニジア旅行にいった。(チュニジアもフランス語圏なので、わたし

「年齢なんて、ただの数字」

わたしがフランスに惹かれる理由のひとつが、何歳になっても人生を謳歌しようとするフランス人の心持ちだ。もちろんフランス人にもいろんな人がいるわけだけど、これまでにさまざまなシーンで、「年齢にとらわれない人たちなんだな」と感じてきた。 大学3年の秋から4年の夏にかけて、パリの大学に一年間の交換留学をしたとき、留学先の大学でたまたま親しくなったのは、学部の一年生の子たちだったのだが、クラスメイトには18歳から25歳くらいまでがいた。 日本だと、飛び級なんてめったに聞かないし、大

ピレネーで危機一髪

90年代にパリに住んでいた当時の話をするとき、家族で必ず話題にあがる「十八番」のエピソードがある。 家族で夏の休暇に南フランスを旅行していたときのこと。ピレネー山脈を車で旅していたのだが、ある日、山道の下り坂を走っていたとき、突然車のブレーキが効かなくなったのだ。 「ブレーキが効かない」「えっ……!」 そのとき車には、わたしたち家族4人と母の親しい友人のおばさんと5人で乗っていた。ざわざわしだす大人たちの不穏な会話を聞きながら、わたしと姉はいつになくわくわくしていた。