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あの記事から1年半ーーー NHK夜ドラ「恋せぬふたり」を視聴


☆ドラマ感想文☆

毎週欠かさず視聴しているドラマ。
NHK総合で毎週月曜日に放映されている夜ドラ『恋せぬふたり』

「アロマンティック」「アセクシャル」を題材としたドラマで、メインキャラクターは岸井ゆきのさん演じる咲子さんと、高橋一生演じる高橋さん。
ドラマの中で2人は「アロマンティック」「アセクシャル」という設定だ。

NHKのサイトを引用すると、「アロマンティック」「アセクシャル」はこのように定義されている。

今までになかったテーマでのドラマ。
かなり前から放映開始を心待ちにしていた。


参考 NHK



ちょっと大袈裟、だけどあるあるなストーリー


ドラマを参考に、あらすじをまとめてみた。

2人を取り巻く人間模様は少し表現が誇張されているように感じる。恋愛をすることがまだまだ主流である現実世界を可視化するためにそのように描かれているのだろうが、テレビの前でハラハラし通し。



『当事者が語る「デミロマンティック」』の執筆者として


2020年、まだ現在ほど「アセクシャル」「アロマンティック」の概念が浸透しておらず、ネット上の記事も少なかった頃。わたしは「デミロマンティック」をテーマにnoteを執筆した。

執筆から1年半経った今でも、未だに「いいね!」の通知が鳴りやまない。咲子さんのように、検索窓に「アロマンティック」「デミロマンティック」というワードを入力する人が、日本のどこかに、確実に存在しているのだ。

ドラマの中の高橋さんと同じく、自分自身も文字で情報を伝える立場。自分の書いた記事が、顔の見えない誰かを支えているのならばこの上なく喜ばしいという気持ちに加え、誰かの人生に影響を及ぼす立場としての責任感を痛感した。



わざわざ名称を付ける必要はあるのか問題


インターネット上でさまざまな意見に目を通していると、『わざわざ「アロマンティック」「アセクシャル」と名称を付ける必要はない』といった声もちらほら見られる。わたしも、そういった名称を使わずともお互いの状態を伝え合うことが出来るのが理想の一つであると考える。

しかし、多くの場面を経験して思うのは「恋愛をしない」という中身をいくら説明しても、なかなか相手にうまく伝わらない。信じてもらいにくい。(ないものを説明することは難しいね。)

だからこそ、時にはパッケージ化された名称を手段として使うことで、コミュニケーションが円滑になる場面がいっぱいある。

また、名称を手掛かりにして同じ感覚を持つ人々と繋がることができるというメリットも。「#(ハッシュタグ)」のような役割を果たしているとわたしは考えている。

それならば、自分のことを説明できる言葉をお守りとしてボキャブラリーの中に備えていると安心できるのではないだろうか。



白黒つけず、曖昧でいい


最後に、自分自身の意見を述べておく。

「恋愛しなきゃ」「恋愛しないのはおかしい」「恋愛しないことをきちんと証明しなければ」と思っている方はおそらく、もともと世間の空気や周囲の人間からの期待に影響されやすく、相手の気持ちに寄り添って物事を考える方なのではないだろうか。誰にでもできることではないし、わたしはそれをすごく素晴らしく、誇らしいものだと考える。

だが、そういう方たちにする、「周囲の声なんて気にしなければいいじゃん」という意見が存在するのも事実。そう言ってしまえばそれまでなのだけれども、短絡的すぎるように感じるし、そういう「周りの声を汲み取りやすい」性質を持った方たちを配慮する姿勢に欠けているのでは、と思ってしまう。

周囲の人に自分を説明したいと思ったとき、「アロマンティック」「アセクシャル」と名称を使った方が快適なのであれば使えばいいし、そうでないのであれば使う必要はない。中には、生活していて恋愛や結婚という概念に出くわしたとしても何ら不愉快ではなく、自分は自分とはねのけてしまえる方もいるだろう。

恋愛する・しないに限らず、普通・変わっている・だとか、多数派・少数派などの区切りが薄まり、一人ひとりが好きな色を纏って生きていく世界が実現することを願う。




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