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自分の世界を楽しむために

自分を出すのがとても苦手。

その自覚はあるから、最近はあえて自分を出せるように努めている。

いつからか、“みんながいいのが、いい。”という感覚になってしまったのだ。だって、それがへいわだから。すんなり決まって、みんなハッピー!それでいい、そう思っていた。そして、そのことに違和感すら抱いていなかった、学生時代。そんなことより、みんなとの時間が楽しかった、20代前半時代。

元々天秤座って、平和主義者で争いが嫌いらしい。その通り、私が願っているのは世界平和で、本気でみんな幸せになったらいいと思っている。(平和、や幸せ、については概念がいろいろあるのでここでは割愛。)温厚に済ませたいこの気質は本来の姿から来ているのかもしれないが、自分を出せないことに違和感を感じ始めた、30代前半。と言うのも、20代の後半は世界を旅していた時間が長かったのでほとんど海外で過ごし、自由だった。一人旅は選択の連続だった。今日行くところ、泊まる場所、食べるもの、過ごす時間、全て自分で決める。その上、海外の人に日本人特有の感覚は伝わらない。例えば、遠慮、駆け引き、におわせ…。そんなことをしても自分の意図は全く伝わらない。しっかり言葉や感情、表情に出していくことの大切さを思い知った経験が幾度となくあった。そんな生活は、自分の気質には合わず慣れなくもあったが、感情を全て出せる環境は、ストレスフリーだったと思う。

そう、帰国してからストレスを感じることが多くなったのだ。“あれ?私ってこんなにストレス感じる人だったっけ?”“旅に出る前は?あ、保育士をしていて、日々可愛い子どもたちに癒されていて、ストレスフリーだったな、、、”“環境に恵まれ、休日は元気いっぱいの仲間たちと時間を過ごしていたな…”。そんな風に人生を思いきり楽しめていた私がなぜ今心から楽しいと思えないのか。それが、自分を出せていない違和感。

現在比較的大規模で交流が多めのシェアハウスの住んでいるのだが、実はずっとシェアハウスに興味を持ちつつも自分の性格的に集団生活は合わないだろうな、という感覚があった。気を遣いすぎてしまう性格だからである。元保育士という職業柄、視野は広めで察する能力と行動力がそれなりにあるし、みんなハッピーが幸せなので人に合わせすぎて疲れてしまうのではないか、と言う懸念だった。この話をすると長くなってしまうので今回は割愛するとして、それを承知で入居。結論、案の定予想通りに自分を出せず気付かない間にストレスを溜めてしまったのだった。

私は、結構人と感覚が合わない自覚がある。食べたいものの気分だって、大体みんなと合わないから、自分の意見なんて言わない。たくさんの人が住んでいて、いろんな悩みや感情を抱えているから、自分の話はほとんどしない。自己開示をしないと相手からも信頼されない、なんてことはわかっているし自分の話をするのももともと苦手なのだが、これは自信のなさから来ていることもわかっている。たくさんわかっていることがあるのだから、あとは行動するだけ。そう自分に言い聞かせ、自分を出していくことにした。

もちろんどうやって出したらいいかなんてわからないけれど、私はシェアハウスに住む人たちを心底尊敬している。同時に心から楽しそうに暮らし信頼し合う姿が羨ましくもある。みんなみたいに私もなりたい、と思えるみんなの姿を真似していこう。人生は有限だし、ここに居られるのも有限だから、行動しなければ。数ヶ月後に、”今の人生最高”とnoteに書けるように。

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