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へなちょこクリエイターAyumiの雑記③

前回までのあらすじ

いや、うん。
いつものノリで行こうかと思ったけどさすがにないな。
気になる方は前記事【へなちょこクリエイターAyumiの雑記②】をご覧ください。
https://note.com/ayumi_nft/n/n6b90330c1fca
軽いノリだと思って読み始めたみんなごめんよ!
え?最初からそこまで感情移入してない?
よし!上等だ!そのくらいで頼む!

あ、そうだ。今日の画像ね。
毎度おなじみになってきた内容とは全く関係ないわたしが作ったシリーズ。スコーン&クロテッドクリームです。英国の貴婦人みたいで素敵ですね。

さて。そんなこんなで毎度うざい導入はこのくらいにして、本筋に参りましょう。


病院にね。行ったんです。
LINEのやりとり終えてソッコーで身支度して車に飛び乗り3時間。
教えてもらった病室。
会うまでは、もうどんな顔したらいいのか、何て言葉をかければいいのか、いや待てお見舞いって何か持ってくべきだろうけど普通に何か食べれるの?とか。そもそもほんとに行って大丈夫なんだろうか?とか。思考はとめどなくまだ回り続けていました。

実はこの時、わたしは障がい者の方の支援施設で5年ほど働いてたのです。だから、一般職の方よりは、障がいに対する理解が…と言ったらおこがましいですが、慣れている感じはありました。

それでも。

…うん。言葉ってやつはそれほど万能ではないですね。今どんなに絞り出そうとしてみても、あの時の心情を適切に言い表す言葉が見つからないのです。

泣かないように大きく息を吸い込んで足を踏み入れた病室では、よく知った大好きな顔がニコニコ笑いながら、お向かいの誰かと談笑してました。
そいつはわたしに気づくと『おぉー』と言い、《ある》方の手を上げてから『ほれ』と言って、すっかり質量を失った反対側の袖を揺らして見せました。

泣くとこじゃないんだけど。
無事にいつもの顔で笑ってるところと、なんかもうこんな時でさえ他人を気遣って笑うんだよなあ、こいつ。そうだ、そういうヤツなんだ、ってことと、あとやっぱり誤情報じゃなかったんだってのと何しろ色んなものがごっちゃになって結局涙出ました。
近寄って、手をぎゅって握ったら、彼は『あーあ、やだなー、みんなそんな顔すんだもんなー』ってまた笑ったあと『いやー、ロケットパンチ撃ったら戻ってこなくなったんだー』と言いました。
この台詞はずーっと考えていたらしく、『ルフィ助けたら海王類に持ってかれた』とどっちにするかは、直前まで迷っていたそうです。

それから、ちょっとだけ話をしました。
この日から1ヶ月くらい前にケガをしたこと。
ドクターヘリで運ばれたけど、あまりにも落ち着いてるので救急隊員に『もっと動揺してください』と怒られたこと。
傷口から入った雑菌が身体中に回り、一週間も生死の淵を彷徨っていたこと。
誰にこの話をしてもどんな顔をするのか解りきっているので、友達の誰一人にも連絡していなかったけど、同業者たちの口からどんどん拡散されて毎日お見舞いが来ること。
最後に『でもさー聞いて。おれ結構すごいんだよ!ケガした時さ、チャクラにパワー溜めたんだ!そしたらめっちゃ平常心になった!』って言い出した時はあらゆる意味で心配になりましたが。
ともあれこの日は、まだ色々問題はありながらも完全に一命は取り留め、日々快方に向かっているという彼の言葉に安堵し、帰宅の途についたのでした。

帰る道すがらも、頭はフル回転し続けていたように思います。
わたしは自分の職業的経験上、これから彼の身には様々な物理的困難や、精神的苦痛、人間関係や環境の激変が起こることを知っていました。それはおそらく、これまでの人生にないほど彼を苦しめるだろう、ということも。

だから。
少しでも、役に立ちたい。
あらゆる困難から彼を少しでも遠ざけたい。

祈るようにそう思う反面。

それってエゴなんじゃないの?
彼に何か頼まれたっけ?そんなこと望まれてるわけないじゃん?むしろ迷惑じゃん?
浅ましい自分の欲望で彼の弱みにつけこもうとしてるだけでしょ?
どうしても、そういう想いが消えないのです。
まあ、当然と言えば当然でしょうな。

【そういう風に見ようと思えば見ることができる】というマイナスの解釈は、往々にしてそちら側が不思議と優位になっていくものです。
そういう想いは、それまでだって何度もすることがありました。
男の上司から仕事を評価されても『媚びているからだ』とか。
逆に仕事を評価されたと思ってたら『俺に気があるだろ』とかね。
良かれと思ってしたことが余計なお世話になったり、好きで着ただけの服が誰かの気を惹くための格好だと思われたり。
ここらへんは誰かの気を惹くために着ることもあるので何とも言えないんだけれども。

とにかくです。
彼にだけはそんな風に思われるのは耐えられない、と思いました。
別に、今まで通り普通に時々お見舞いしてれば、それでいいじゃんね。うん。それでいいんだ。それなら友達の範囲なはずだし。

そうだ。
友達の範囲。親友の範囲を越えなければいいんだ。

そう思ったら、少し気が楽になりました。
幸い彼には彼のことが大好きな友達がたくさんいるので、わたしなんかが少しお節介を焼いたところでそんなに目立つことはあるまい、と思われました。

その日からしばらくの間、わたしはそれまで趣味に全投入していた仕事外の時間を、彼のために出来ることを探す時間に替えるようになります。

こんなことされても気持ち悪いだけだろうな。迷惑に決まってるよな。
そもそもわたしみたいな女が誰かのために何かしようなんておこがましすぎない?
今までだって家事のひとつすら、誰かのために喜んでやるようなこと、一度もなかったのに。

そんな気持ちと、闘いながら。


この辺の下りは、いつ思い出しても胸の奥のささくれみたいなもんがちくちくします。
一歩間違えたらかなり微妙な粘着と思われかねないなーとも思うし、なんかそれまでの人生でわたしは誰かのこういう好意を踏みつけにしてきたことはなかっただろうか?いや、あった、とかも思うしね。

苦悩が人に対する優しさを育てる、て側面はある気がしますね。
涙の数だけ強くなれるよ ってやつです。
人は悲しみが多いほど人には優しくなれるのだから ってやつです。
今の若い人にはまったく通じない引用ですね。はい。

え?まだ続くの?と思ったでしょう。
続くかどうかは解りませんが。
まだ話が終わってないことは確かです。

それでは、また今度。


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