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浄化ということば〜パランパルミルをウィーズの事業にするまで⑦〜


昨日の記事で、ようやく「今必要なこと」と「パランパルミル」がつながったことをお伝えしました。


私たちは、家庭環境や親子関係にしんどさを抱える子どもたちが『ひずみの犠牲』につながらないように願い、活動をしてきました。

家庭環境や親子関係というルーツは
その子の自尊心を
確固たるものにすることにも
崩壊させることにもつながる
大きな影響力をもつものと考えています


そのときに、全支援員に共有している2つの「支援活動の軸」があります。

2つの支援活動の軸


それは、いかなる状況下においてもその子はもちろん、その子のルーツである親のことも否定しないということと、家庭環境という経験がひとりひとりの中で消えることはないものであることを理解するということです。


子どもたちは相談対応の中で自らの親を否定する発言をすることがあります。「うちの親は毒親だ」「お父さんが嫌い」「お母さんが嫌い」というようなことです。

これらについて、子どもたち自身が発言することは受け止めますが、支援員はたとえ共感を示したいという場合にも「確かに毒親だね」とか「ひどいお父さんだね」「お母さんダメだね」とは絶対に返しません。

親がいなければ、その子は存在しない

その事実はとても重く、変えられないものです。


その子の存在に「価値がある」ならば、その親の存在も決して否定はできません。
例えば暴力とか、犯罪とか、それぞれの行為・行動にNOを示す必要はあっても、誰かの存在を否定することは誰もやってはいけないのです。


そして、もう一つ大事な点としているのが「乗り越える」ではなく「浄化する」という考え方です。

家庭環境や親子関係はルーツなので、人生において切っても切り離せないところがあります。

そのため、「親が離婚して寂しいな」と抱いていた感情が大人になるにつれて思い出さなくなったのに、自分自身が結婚を意識した時に「自分ももしかしたら離婚して、子どもに寂しい思いをさせるのではないか、だったら結婚しない方がいいのではないか」と思う・・・・そんなことが、人生のライフイベントごとによく出てきます。

だからこそ「乗り越える(その山はもう自分の後ろにある)」のではなく、「浄化する(山を低く感じられることで、ちょっと躓くことは何度かあっても、前に進める)」ことを子どもたちと一緒に目指していきたい、と考えています。


この2つの支援活動の軸は研修の中でも、実務の中でも繰り返し出てくるので、支援員さんたちは常にここに立ち返って子どもたちへの対応の仕方やふるまいについて考えてもらっています。

しかし、この「浄化」ということばは、社会起業塾の最初の方から、「説明を聞けばわかるけど、単語だけだとひっかかりを感じる人がいるかもしれないから、もうちょっと良い言い方を考えた方がいいね」と言われてきました(笑)

確かに、辞書だと『よごれや悪を取り除いて、清浄・清潔にすること』と出ますし、その指摘もごもっともだなと感じました。

でも、カタチが変わるわけではないから「消化」も「昇華」も違うしなあ~・・・としっくりくる言葉に出会えずにいる状態で時が過ぎていきました。


とはいえ、「パランパルミル」との再会にわくわくしていた私は、これまでのことを整理してまとめはじめました。


実際に起きているひずみの犠牲の一例
(2023年冬にまとめたもの)


それらを二度と起こさないように
するためのミッションステートメント


では、どうしたら子どもたちが、ひずみの犠牲の発生にたどり着いてしまう前に止めることができるのかを言語化してみると・・・・

『あ゛っ!!!!』

(前回に続きふたたび。笑)


これじゃん!と思いました。

そう、浄化は「これで良かった」と思えること。

家庭環境や親子関係だけでなく、人生には経験しなくていいなら経験したくなかったことを経験することがありますよね。

「糧にする」とか「プラスに考える」とか、そこまでのポジティブさまでにはたどり着かなくてもいいんです。
負の感情を抱いたものは、それをありのまま出したっていいんです。

でも「今」が良くなっていくこと、良くなっていることを感じられたら、「たしかに親が離婚したのって嫌だったけど、だからこそ今があるとも言えるんだよな」と少し視点を切り替えることができます。

これが、まさしく「浄化」ということばで伝えたかったことです。

この「これで良いんだ」も今までも至るところで使ってきたワード。

大切なものは外にあったり、新しいものの中にあることもあったりすることももちろんありますが、すでにもっているもののなかにもあるんだということを改めて気づかされました。


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