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ネットワークと私

私が初めてネットにアクセスしたのは三十年も前になろうか。「インターネット」ではなく「パソコン通信」と言っていた時代だ。当然のことながら光回線はなくデジタル回線でさえもなく固定電話のアナログ回線にモデムを接続してアクセスしていた。パソコンからアクセスすると「ピポパポ・・・トゥルルルル・・・ガチャ、ピーガーブンブンブン・・・」みたいな音を立ててやっとつながる。そのままつなげてネットをアクセスすることもできるが、とにかく電話代がどんどん加算されていく。なので、大抵の人はお気に入りの場所を巡回し新しく投稿された記事だけをダウンロードして、しかるのちに一旦電話を切る。ダウンロードした記事をゆっくり読み、また自分の記事も作成してふたたび「ピポパポ・・・」を経てネットにアクセスし、自分の記事をアップロードして終わる。これがネットアクセスの手順だった。その後のネット環境の発展と爆発的な広がりには目を見張るものがあるが、ネットの歴史を繙きたいわけではない。

モデム経由でピーガーという音とともにネットにアクセスしていたころ、ネットサーフィンという言葉はまだなく、フォーラムを巡回するというのがその代名詞だった。フォーラムというのは nifty が構成していたもので、シスオペにて管理されていた。たくさんのフォーラムが設立され、ユーザはそれぞれに関心のあるところでやり取りする。私はその中の「プログラマーズフォーラム」が好きでいつも愛読していた。同じ頃、ソフトウェアの世界にも新しい動きがあった。C++の登場だ。私の関心はもっぱらオブジェクト指向プログラミングに向いた。まさにその時だ。「プログラマーズフォーラム」に「オブジェクト指向の真髄はポリモーフィズムにある」という発言があがったのは。

私がまだオブジェクト指向を勉強し始めたばかりの頃である。私自身は「オブジェクト指向の真髄はカプセル化にある」と考えていた。だから投稿しようとしたのだ。オブジェクト指向の真髄がポリモーフィズムではなくカプセル化にあると主張する発言を。文章も書き終えて、ピーガーしようというところまできた。今一度、ポリモーフィズムの発言と見比べてみた。ちょっとしたひっかかりがあった。私は間違えているのか? 考えれば考えるほど疑惑は膨らんでいく。間違えているのかという疑問は、間違えているのかもしれないという疑惑に変わる。そしてぱっと世界が開けて見えた。そう、オブジェクト指向の真髄はまさにポリモーフィズムにあると、それがわかったのだ。私がポリモーフィズムを習得したのはこの時であったと間違いなく断言できる。

私とネットとの付き合い方はこの時に決まったと言っていい。私に新しい知見知識思考を与えてくれる場所だ。以来、三十年。いろいろなところで、取り留めもないことを書いてきた。私が待っているのはおそらくは共感ではない。反論訂正改善だ。niftyでのフォーラムはネットの夜明けだったろう。そこでは、いろいろな人がいろいろな意見をさげて議論してきたように思う。その後暴力的な発言が問題視され、それらとともに反論意見も封じられているような気がする。たまに出てきたと思ったら炎上だ。人々が求めているものは反論ではなく、スキやナイスになっていった。だが。新しい考え方を会得するというのは、スキやナイスには到底及ばない。あの、目の前がパッと明るく開ける喜び楽しさは何千何万のスキやナイスを凌ぐ。私は、そう思っている。

数週間前だったか、私の記事をやんわり訂正される記事に出会った。いや、はっきりそうと書いてあったわけではないので、もしかしたらただの偶然かもしれない。ただ、読んだ私ははっきり自分が間違っていたと自覚した。その時の新鮮な驚き。ただただ興奮した。嬉しかった。楽しかった。

また、あの興奮を味わえるだろうか。

そう思いながら、今日もネットに書き込みをする。

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