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8月15日の日記

昨日、8月15日が終戦記念日だったのだと、その日の夕刻になってようやく気付いた。丸一日が台風一色で他のことを気にかける余裕がなかった。台風6号も7号も、のんびり屋さんで困る。

私の周囲では特に被害もなく、水に浸かることもなければ、何かが飛んでいったり飛んできたりすることもない。中心付近の方がまだしもだったのかもしれない。台風の周囲にあたる、東海地方や中国地方のでは被害も尋常ではなかったようだ。猛暑の中での復旧作業を思うと気の毒でならない。被害にあわれた方々が早く日常に戻れますように。

そういえば、昨日は涼しかった。
いくら台風とは言えムシムシするだけだろうと思っていたが、予想最高気温が28度で、実際にそれくらいだったように思われる。エアコンの部屋から出てもムッとするような感覚がない。今日8月16日はまた34度予想だった。暑い。


終戦記念日に関連して、少し。
昨日のNHKの番組で「Z世代と戦争」というのがあった。Z世代の人達が戦争について議論する番組だ。NHKがZ世代を対象として事前にとったアンケートにこういうものがあった。

「もし自国が戦争になったとき、あなたはどうしますか?」

回答の選択にはどういうものがあったか既に記憶に怪しい。概ねこんな感じではなかったかと思う。

(1)自分も戦う
(2)武器は持てないが後方から援助する
(3)逃げる
(4)わからない

アンケートの結果でどれが一番多かったのかは忘れた。
ただ、このアンケートについて専門家の方の意見が興味深かった。意味のないアンケートだと仰ったのだ

戦時に入れば選択の自由はありません。
それが戦争というものです。
だから、このアンケートは意味を成さない。

既に一年以上にわたってウクライナでは戦時下にある。この侵攻が始まって間もなく、ウクライナでは18歳以上の成人男性が出国禁止となった。この禁止令に違反した場合にどんな罰が待っているのか、不勉強にして詳しくない。だが、出国禁止という強制状態に置かれることに恐れを感じた。少しずつ自由が奪われる。

コロナでの緊急事態宣言にも同じような不安を感じたのを覚えている。緊急事態宣言で制限される行動はそれほど多くはなかったと思うが(きっちりと調べたわけではない)、それでも権利の一部を制限するものには違いない。

旧憲法には「戒厳令」というものがあった。

戒厳令が宣告された場合どうなるのか。裁判において控訴上告できない。集会新聞などが停止できる。郵便電報を検査できる。さらに停止もできる。動産不動産を破壊できる。家屋に立ち入り検査できる。その地から退去させることができる。その他種々あるが、基本的に人の有する権利の大部分は抑圧剥奪される。権利を保証するものではなく権利を抑圧できる法令である。

そこまで大袈裟ではなかったとしても、権利や自由を抑圧する、あるいは剥奪するということはそれほどに恐ろしい。行使する人はそれが正義と思って成すだろう。現行の憲法に戒厳令はないが、時々においては戒厳令が必要ではないかという声があがる。そういう人が常に必ずいる。そうかも、そうかも、となんとなく思い続けていると、いつの間にか雁字搦めになっているのかもしれない。

今、日本が侵攻されたとして、戦うにしてもおそらくは無理なのだそうだ。ウクライナでは徴兵制がある。だから、平時から訓練されてきた。日本に徴兵はない。訓練されてもいない。今、侵攻されて戦おうとしてもなんの知識も技術も持ち合わせていない。徴兵しろ、というのではない。有事に備えるというのはそういうことではないのだろうかと、徴兵をも辞さないということではないかと、そう思うのだ。

防衛費を上げて何をするのか。

誰かに、あるいは最新兵器に守ってもらうのだろうか。それもいいかもしれない。だけどきっと、誰かに、何かにと、なんとなく思っていただけのはずが、いつの間にか徴兵され訓練され防具をつけられ兵器を持たされて最前線にいるかもしれない。それが、きっと、戦争なのだ。

自衛のために防衛費を上げる。

その進む道の先には、本当に平和が待っているのだろうか。


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