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10年後の私へ

以前にどこかで言ったことがあるが、私が何のために記事を書いているのかというと、概ね10年後の自分のために書いている。ということは、どれだけの人が読んでくれたのかとか、どれだけの人がスキをくれたのかということは、私にとってはあまり関係がないとも言える。関係がないことはないのだが、たくさんの人が読んでくれたり、スキをたくさんもらったりすると素直に嬉しい。ただ、ともすれば、スキをもらうことが主目的に陥りそうなことがあって、「10年後の自分に向けて書く」というのはスキの数に振り回されまいとする戒めであるのかもしれない。そもそも、10年後にどれだけを読み返すのかということも甚だアヤシイのだが。

いろいろと考えることが好きで、考えると言ってもきっちりと結論が出るというようなことはほとんどなくて、漠然とつらつらに考えていることが多い。これだけの数の人類がいて頭脳明晰な人もたくさんいるのだろうに何故戦争がなくならないんだろう、とか。今の公立の学校のように一律同じ教室で一斉に前を向いて授業を受けるという体制は一部の子供たちには拷問なのではないか、とか。物理の統一理論が解けたとき、そこにはなにが見えるのだろう、とか。今の数学の体系は完全なのだろうか、とか。まったくもって私一人に解けるなどとは到底思えないようなことを考えている。私にとって考えるというのは、答えが得られない何かだ。

答えは得られないのだが、本を読んだりしているとたまに「あ」と思うようなことがある。それは共感であったり新たな知見であったりいろいろであるが、つらつら考えていることに触れると「あ」メーターは大きく振れる。そもそも、この記事もフォローさんの記事に触発されているところが大きい。そのような「つらつらと考えているんだけど結論が出ないようなこと」というのは、あまり話したことがない。亭主相手にたまにポツっと言う程度だろうか。

以前にも書いたが「誰にも言わないことは考えたことにはならない」という言葉に接したことがある。この言葉のインパクトは大きかった。結論が出ないままに考えたことを書いてみようと思いはしたものの、記事はなかなか思うようにまとまらず公開するまでに及ばない。

最近、盛岡が外国人観光客に人気なのだそうだ。その中でも、世界中を回って集めたコーヒー豆を自家焙煎していたり、日本ジャズ喫茶を長年続けられているお店などが特に人気だったりするという。日本人がなかなか集まらなかったこのような場所が注目されているというのは嬉しい。自分が好きなことを自分の信念だけで続けるのは難しい。それをやってきた人が日の目を見るというのは励まされる。

結論が出なくてもいい。
スキが少なくったっていい。
貴方の考えていることは、何ですか?

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