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いつ「死なれても」いいように。

実父を突然亡くしてから、思うことがある。

いつ死んでもいいように生きるには、
いつ「死なれても」いいようにという観点も大事だということ。

自分がいつ死んでもいいようにという考えのもと動いただけで、
周りの人が突然いなくなっても、結果的に後悔はなかったという人もいるだろう。

自分が突然この世からいなくなるかもしれないから、久しぶりに来た昔友達からの誘いは断らないでおこう。
→そのとき会った友人が突然亡くなる。
→あの時会っていて良かった。
…という感じ。

これは結果的にうまくいっている気がするけど、もしかして、自分がいつ死んでもいいようにって視点だけだと、その時間をもっと自分のために有意義に使いたいからと、お誘いを断ってしまうかもしれない。

自分がいつ死んでもいいようにっていう視点だと、自分が中心な要素が強め。
相手にいつ死なれてもいいようにって思うと、ちょっと視点が変わってくる気がする。

連絡しようかな。でも、いつでもできるからいいや。
そう思って放置していたら、もう2度と連絡できなくなった。

自分がこの世をさった時、その人に連絡しないままになってしまったとしても、人生でやりたいことはいっぱいしてきたし、その人が後からくるのを待てばいい。
でも、自分より先にその人がいなくなってしまったら、なんであの時しなかったんだろうって、後悔とともに生きていかないといけなくなる。

いつ死んでもいいようにと思いながら、生きていく。
そこに、いつ死なれてもいいようにという視点を加えると、少しは後悔が少なくなるかもしれない。

自分が幸せでいて、身近な人、大切な人、大好きな人を笑顔にしていく。まずはそこから始まるんだと思う(*´ω`*)