見出し画像

癒されたいのはわたしのほうだった。

昨日の夜、お皿洗いをしていたら
 

2歳の娘が 泣きながら

『ママ、ママ』と足元にしがみついてきた。 

「ちょっと待っててね」と言いかけて

ふと、

”今、この手を止めたらどうなるか?”  考えた。

きっと娘は泣き止んで、その後わたしはまた
お皿洗いを再開すればいい。

”手を止めなかったら?”

”娘から見たわたしはどう映っているんだろう?”

1つの実験みたいな感覚で、

手を止めて、娘を抱きしめてみた。

はじめ驚いた様子だった娘は、
背中をさすってあげると 泣き止んで

すぐに笑顔になった。

満足した様子で、わたしの傍から離れていき
わたしはまた、お皿洗いを再開した。

いつもと違ったことが2つあった。

1つめは、
泣いている娘にイライラしなかったこと。

もう1つは、
娘を抱きしめながら

”こうして欲しかったのは小さい頃のわたしだ”

と気がついたこと。

泣いている時に
お母さんにだっこして欲しかった。

それがたとえ、ウソ泣きでも。



わたしはよく子どもたちに

”自分でできるようになろうね”

と自分のことは自分でやらせたいと思いながら
関わっている。

それは「自立した人に育ってほしいから」

と思っていたのだけれど、

もしかしたら「わたしがラクしたいから」を

都合よく変換させていただけなのかもしれない。



”抱っこさせて”で

子どもたちが抱っこしてくれるのは

きっと あと数年。

その時に、

”あの時もっと抱っこしてあげればよかった” と

思うような育児にならないように

今、精一杯こたえてあげたい。

この記事が参加している募集

#育児日記

50,366件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?