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日本人は繊細すぎる!?について思いを馳せる

先日、とある方のstand.fmを聴いていて
なるほどなーと感じたことがあった。

それは
「日本人はどんどん繊細な人が増えていっている」というもの。

その方曰く、
日本人は海外の人に比べて、言葉というものに敏感になりすぎている。

日常的に相手と議論するということが少ないため、相手の言葉にすぐ傷ついたりする。

海外では(その方はアメリカに住んでいた)「なんであなたにそんなこと言われなきゃいけないの?」など、はっきり主張する。

といったようなものだった気がする。

….。
これは、なんと耳が痛いなあ、、と感じたのが正直なところである。

日本人はどうかということは
私には分からないが、たしかに、
自分ごととして置き換えると、とにかく角が立たないような言葉をいつも探している。

また、相手が傷つかないように、鋭い棘のある言葉は、なるべく柔らかい表現にも換えて伝えるようにもしている。

なぜなら、
そうやって教育されてきたから…
というのが正直なところではあるが、

それは遥か昔から続く、
日本人の言葉への趣といったことも、
もしかすると少なからず影響があるのではないだろうか、とふと感じたりもした。

美しい太陽。
太古の昔の人々も、同じように
眺めていたのだろう。


日本は、古来より
言葉を嗜み、和歌や短歌、
俳句といった様々な表現を用いて、
四季折々の自然の美しさだとか、
その時の感情を言葉に託してきた。

それはおそらく、
古(いにしえ)の人々がつくりあげた、
素晴らしい表現方法であるし、
それは欧米圏といった英語にはあまりみられないものかもしれない。

ここに、日本人の繊細さの素晴らしさがあると私は思う。

一つの言葉の表現ではなく、多彩な言葉で情景や感情を伝える。
それは時に儚く、時に夢物語的でもあり、時に趣深く。
様々な言葉を自由に操りながら、自分を表現していく。

これは、日本人の繊細であるということの、一つの豊かさではないだろうか。

海外に比べて、たしかに日本人は言葉に敏感で傷つきやすいという脆さも持ち合わせているかもしれない。

だが、それ以上に、
日本人が持つやわらかな感情表現、
鮮やかな、叙情的な、それでいて人々の胸にやさしく語りかける言葉というものを通しての伝え方。

そう思うと、

人々の胸を打つ、
繊細な日本人の言葉への敏感さは、
決して疎ましがられるものではなく、
これからも繋いでいくであろう、
日本人の素晴らしき一面なのかもしれない。




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