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養護教諭→

養護教諭になろうと思ったのは,中学生のとき。
お友達が急に学校に来れなくなってしまったのがきっかけ。
小学生の時からの友達の私には何もできないのに,
保健室ではいろいろお話していた姿を見て,
単純に「すごい」と思った。

でも振り返れば,
小学校の低学年の頃はよく保健室の先生に甘えていたし,
保健室が大好きだった。

高校生になってからも過呼吸の応急処置を教えてもらったり,
自分が落ちこぼれでサボりにいったり,

なんだかんだ,私にとってはどの時代も保健室は居心地が良くて
保健室の先生ってすごいなって思う場所だった。


どんな時も受け入れてくれて,
それだけでも救われていた。

すごく個人的なことだけれど、
育ちの中で私はもっと愛されたかったし、甘えたかった。
それをいくつになっても埋められなくて、
保健室という場所と、養護教諭という学校のお母さんのような存在を
無意識的に求めていたのだと思う。


何度も違う道に、と思ったけど,
その都度自分にとっては養護教諭に戻るきっかけがあって,
結果,養護教諭として10年働くことができた。

私が養護教諭を目指していたときは
学校で子どもに寄り添う仕事でメジャーなものは
養護教諭とスクールカウンセラーくらいだったと思う。
スクールカウンセラーは中学生の時に急に学校にいるってなって、
悩んでる人が ”特別に” 行くところという認識の時代。

10年働いて、社会も子どもの環境も養護教諭の仕事もすごく変わっていった。
そして、私自身も大切にしたいものが変わっていった。
10年前は、一人一人が学校に「適応」できるようにサポートすることを大切にしていたけれど、
今は、「個性」を活かせることや社会で「活躍」できるようにサポートすることを大切にしたいし、応援したい。
もっともっと「個」に寄り添った安心感を届けたい。


そして何より私は、

“一歩踏み出す瞬間に立ち会えることが私自身の喜び“

ということに気づくことができた。

目の前の人がちょっと自分のハードルより高い壁に向かう時、

「私はできる!」

と自分を信じて、

「あなたを信じてる!」

と本人以上に相手の存在を信じる存在がいることで

安心して一歩踏み出すことができるようにお手伝いしていきたい。

そのために、
いろいろなコミュニケーションを学び、
いろいろな価値観に触れ、
まずは自分自身が自分の声を信じて、
一歩を踏み出す🌈

私自身も一緒にその時の感情を味わうことができる人間になる。


そしてそこには絶対に、笑顔が溢れている🌸

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