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文句の正体

「結局どうしたいの?」

なんで、私にはこの言葉が付きまとうのだろう。
兄も弟も「人生どうしたい」なんて考えていない。
(というより、この問いに出逢っていないと思われる)
ただ、文句を言いつつも楽しそうに生きている。
最近感じたのは、
彼らの文句は困り事ではなくて、
文句を言いたいだけなのかもしれないということ。
そして、文句を言い合える環境であること。

果たしてわたしは?

ずっと言葉の表面だけを受け取って、
文句があるなら辞めればいいじゃんって思ってた。
好きにすれば文句もないでしょって、口には出さない文句を持ってた。
文句ってその人の理想があるから生まれるもので、
「文句」という形で出るのか、「悩み」や「不安」という形で出るのかの違い。
それで言ったら、
「文句」のほうが、感情・直感に近くて、
早い段階、軽い段階で言葉に出やすいだけなんじゃないかな。
「悩み」「不安」は思考で、逆に考えて複雑にしてしまっている。
「文句」を言い合えるって、
実はお互いの理想のためのコミュニケーションになっていて、
だからお互いに言い合えればもちろんいいのだけれど、
1人でだったり、違う相手に言うのも、
ある意味、理想の言語化ができているのかなって。

ただ、気をつけなきゃいけないのは、対象があるということ。
「文句」って苦情だからどうしても否定的な言葉を使ってしまったり、
時には、人格や存在を否定してしまっていることもあって、
本人が思っている以上に聞いている人に影響を与えやすい。

だから、「文句」をコミュニケーションとして使う時には、
「文句」の対象をしっかりと見極めて、
「人格・存在」ではなくて、
「事象」に文句があるってことを伝えることが
きっと何かを傷つけずに歩みよる、
優しいコミュニケーションになるんだろうと思う🤭

そう考えられるようになったら、
私自身は「文句」を伝えられるようになったし、
文句を表面の言葉で受け取らずに、
「どうしたかったのかなぁ」とか
「そうして欲しかったんだなぁ」って
ただの事象として聞けるようになって
周りの人の「文句」に振り回されなくなった☺️

それ結局考えてるから直感じゃないじゃんって思ったけど、
癖のようなもので、最初は意識して「文句」を扱ってたけど、
今は少しだけ意識しなくても「文句」コミュニケーションができるようになった😊

優しい世界が広がりますように🕊

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