今の気持ちをここに置いていく。
新年早々、悲しすぎることが起きました。
昨日までずっと心がモヤモヤしてたので、自分の気持ちを整理するためにもこのモヤモヤをここに書いて置いていこうと思います。
石川能登を震源とした大地震。
私は実家に帰省して家族みんなでこたつに入ってみかんを食べながら、TVを見ていました。これぞ、THE お正月という感じ。
TVを見ていたら地震速報。そしてみんなのスマホのアラームが一斉に鳴り出したと思ったら、長い横揺れ。愛知も結構揺れました。
1人でいたらめっちゃ怖い。
そして翌日の航空機事故。
大地震というと、2011年の東北大震災のことを思い出さずにはいられませんでした。
私は2011年の東北震災の当時、災害拠点病院である日赤病院で働いていました。
地震が起きた3月11日、私はセントレア空港にいました。
たまたま4連休だったので、台湾旅行に行く予定で、ちょうどその日は出発日でした。
ゲートでチェックイン時間を待っていた時のこと。
ゆらゆらと視界が揺れ始め、天井のライトがとても揺れていました。
酔いそうになるほどの揺れ。
それが地震と気づいたのはセントレアのTV大画面に映し出された光景。
地震だけではなく、津波の映像。
東北、大変だ。。。
ところで、フライト飛ぶのかな?と、その時の私はそんな事しか考えていませんでした。
台湾へのフライトは1時間半遅れて出発。
呑気に3泊4日の台湾旅行を満喫していました。
当時はWi-Fiルーターを持っていくことすらしていなかった時代。
なので旅行中、日本がどんなことになっていたか全く知らずにいました。
帰国してセントレアでスマホのネット通信をONにしたところ、大量に届いたメールや着信。着信は実家からと職場から。
母に電話したら、「あんただけ安全確認が取れてない」って、病院から電話があったよ!と。
重大なことになっていると、その時初めて知りました。
実は飛行機に乗る時はフライトの便名を上司に伝えるというルールがありました。しかし、3月は来年度に向けて、人事異動があったり、引き継ぎがあったりと超多忙な時期。
そんな時にシフト上は4連休(たまたま)になっているものの、海外旅行に行くとは言いづらく、言える雰囲気ではなく、伝えていなかったのです。
職場に電話して、自分の安全を伝え、翌日出勤。
私が所属していた病棟からも先輩が被災地への応援に行っていることを知りました。
それを知って、最初は罪悪感しかありませんでした。
日本がこんなに大変な時に呑気に海外旅行に行っていた自分と被災地に行って頑張っている先輩を比べてしまい、自分の情けなさやバツの悪さ、先輩への申し訳なさなど、最初はたくさんの感情でいっぱいでした。
時間が経ち、しだいに
何か私にできることはないのか
何もできない自分が悔しい
現地に行けるなら、少しでも戦力になりたい
日赤で働いているのに何もできないなんて…
などと、何か役に立ちたいという気持ちしかありませんでした。
そこで救われたのが、病棟の師長さんか係長さんか主任の言葉。
(誰だったか忘れた)
病棟にいるスタッフは応援に行っているスタッフの穴を埋めること
いないスタッフの分まで頑張ること
それもとても役に立っていることだと。
その言葉でこんな私でも役に立てているという実感を持つ事ができました。
あれから約13年が経ち、石川での大震災。
13年経った今も、何か私にできることはないか?
13年前と同じ気持ちでいます。
私ができることは
募金、支援金、信頼できる方のSNSを拡散すること。
そしてどうしても悲しい事があると、共感して泣けてきてしまいます。
性格的に、相手の立場に立って感情移入してしまいがちなところあるので。
でも泣きたいのは被災した方々なので、泣くのは失礼だと思うので、グッと堪えて
私は通常の生活をしつつ、今年もたくさん旅行に行って経済を回していきたいと思います。
今できることを全力で。
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