ピアニッシモ・フラン

不健康な生活は絵になる。ロックスターの生き様なんかは、その象徴だとおもう。

どこかで耳にした「秋はたばこの煙が恋しくなる」という、その大人だけが使うことを許された気だるくどこか感傷的なフレーズは、少し背のびをしたい年頃の女の子を誘惑するには十分だった。
その背徳感に胸を高鳴らせ、たばこを手にとったのは、かわいた風と高い空に傾いた陽がセンチメンタルな秋の頃。私は短大生だった。

年齢的に言えばすでに合法だったけれど、幼いころ身体があまり丈夫ではなく病院のベッドによくお世話になっていた私は、むしろ健康的な生活にこそ憧れていたので、身体によくないとされている行為はそれまでの人生では避けてとおってきた。
けれど当時の私にとって、学生特有の持てあましがちな時間と、秋になるとふいにおとずれる孤独感や物足りなさを埋めるのには、ちょうどいいアイテムだった。

記念すべきデビューに選んだのは、ピアニッシモ・フランというラズベリーの甘い香りがするメンソール。
小花があしらわれたピンクのパッケージが可愛らしく、他のたばこの半分しかない本数と細いスティックも初心者には丁度よかった。
なんといっても決め手は、コンビニで買うとパッケージとお揃いの可愛いオリジナルシガレットケースがついてくるというキャンペーン中だったのだ。
それは女子大生がファッションとして持つにはうってつけだった。

煙自体を美味しいとこそ感じなかったけれど、鞄にこっそりと忍ばせているだけで満足だった。
親も友だちも誰も知らない、私だけのひみつ。私だけが知っている、私が大人である証。

そうして、ひと箱の半分も吸い終わらないうちに、私はたばこを卒業した。

けっきょくやっぱり身体にわるい行為は好きになれなかったし、ほんとうに煙が必要な身体になってしまうのは本意ではなかった。
なにより、通過儀礼をすっかりやり遂げてしまった私に、それはもう必要なかった。
雪が降り、煙が恋しくなる季節は終わりを告げたから、とかいういかにもそれらしい理由は完全に後付けである。

不健康で魅力的なロックスターのようにはなれないけれど、それと引きかえに手に入れたこの健康的な生活は、まあまあ気に入っている。

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