娘を思う父親の気持ち
今をときめく岸田奈美さんのnoteを読んでいて、ハッとした一文に出会いました。
“大切な人を思ってひねり出した新しい仕事が、また別の、大切なだれかを幸せにしているのだ。すべては、人を思う気持ちから、はじまっている。”
私にも、この経験がありました。
私の場合、私が「大切な人」の立ち位置です。
酷いアトピー
22歳の私は、大学卒業前に結婚し、普通に就職もして、新社会人生活と新婚生活を同時にスタートさせました。
今から25年前の話です。
新卒で採用された会社では、女性社員として初めての総合職での採用でした。
バリバリ働く自分をイメージしていたし、私にはそれができると信じていました。
また、結婚生活も充実させたいと、キラキラした毎日を想像していました。
夫のお弁当を作り、夫のために好きな晩ご飯を作り、家事をこなし、仕事もできる。
私ならできる。
未来は明るい。
幸せしかない。
そんな風に思っていたけれど、そうはいかなかった。
入社2週間ほどで、私の頬がカサカサしてきたのです。
「あれ?」
と思ったら、そこからは階段を転げ落ちるように私の頬がガサガサになり、顔全体に酷い湿疹が広がりました。
アトピー性皮膚炎でした。
会社の昼休みに、日赤の皮膚科へ行き、ステロイドを塗り、ステロイドを飲み、ステロイドを点滴するまでになりました。
こうなると、仕事どころではなくなり、でもしんどい顔は見せず
「大丈夫です」
と、明るいはずの未来に思いを馳せ、日々家事、仕事をこなしておりました。
今思い返すと、新婚生活を完璧にこなしたい、仕事も完璧にこなしたい、あれもこれも手を抜きたくない。
という思いがストレスとなり、ストレスが引き金のアトピー性皮膚炎だったのだろうと察しがつきます。
ステロイドの点滴を打ちながら
「会社を辞めよう」
と思ったのは、入社後2ヶ月の頃でした。
期待されて入社した会社を、2ヶ月で退職しました。
これで治る、という安堵と、会社を辞めたという挫折感が入り交じる決断でした。
何をやっても改善しない
退職してからは、病院へかからずに自力で治そうをしました。
薬は使いたくない。
ステロイドは治す薬じゃない、抑える薬だ、ということはわかっておりましたので、とにかく私は「治したい」のでした。
退職したら治るはず、と思っていたのに、全然治らない。
化粧水を変え、洗顔料を変え、アトピーにいいといわれるものを片っ端から試していきました。
でも、何を試してもさっぱり治らない。
木酢液
そんな時、私のことを心配してくれていた夫の母が
「これ、いいらしいで」
と、私に手渡してくれたのが茶色い木酢液でした。
洗顔時、最後に木酢液を数滴たらして顔をすすぎました。
「なんか、良い感じ」
直感です。これは、大丈夫。
私の直感の神様が「大丈夫」と言っている。
娘のために開発
私の実家に帰ったとき、父親に
「木酢液を使って顔をすすいでいるねん。なんか良い感じやねん」
と伝えたことから、父親の人生も大きく変わり始めます。
当時、農業用資材として大量の木酢液を扱っていた父。
(私はその事実を知らなかった)
茶色い木酢液の原液には、タールなど人体に有害な物質も入っていることも知っていました。
娘がアトピーで苦しんでいる。
その娘が「木酢液がいい」という。
それなら、娘に安心安全な木酢液を使わせてやりたい。
木酢液の原液から、タールなどの有害物質を取り除こう!
その日から父は、ただただ私のアトピーを治したい一心で、木酢液の原液を蒸留精製する装置を研究開発していくのです。
離れて暮らす私は、詳しく知らなかったのですが(自分のアトピーのことで頭がいっぱい、生活の全てがアトピー一色だった)、父は日夜装置の開発をしていたようです。
そうして、父はついに無色透明の木酢液
「蒸留木酢液 爽美林」
の開発に成功し、商品化したのです。
父の開発した木酢液は、タール分など有害成分を取り除き、限りなく無色透明にし、木酢液独特の匂いも軽減させるという、魔法のような液体でした。
つんと香る爽美林を、洗顔時のすすぎで使うと、水が一気に丸みを帯びて、まろやかな水に変わり、私のガサガサの肌を柔らかくしてくれたのです。
私のアトピーは、大波小波はあったものの、爽美林の進化と共にだんだんと落ち着いていきました。
ただただ、ただただ。私のアトピーを治してやりたい一心で。
薬は使いたくないねんと、頑固なまでに一切のステロイドを使わない私のために。
「パパが治してやるしかない」
と、自分の知識と財産と愛情を投入して開発してくれた商品。
私は私で、「どれだけ酷くても薬を使いたくない」という頑固さが幸いして、爽美林に全幅の信頼を寄せて、爽美林だけで寛解にいたりました。
私がしたことは、ファーストインプレッションだけをただただ信じたこと。
初めて木酢液の原液を付けた瞬間の
「なんか良い感じ」
という、理由もない直感だけを頼りに、なかなか治らない日々も、耐えられたこと。
父の開発した「爽美林」で治りたいと願っていたこと。
私にとって爽美林は、なくてはならないアイテムになっています。
また別の、大切なだれかを幸せにしているのだ。
こうして、娘のアトピーを治してやりたい一心で開発した「爽美林」。
その後、たくさんの人の協力を経て、ネットで販売することとなりました。
20年前の話です。
おかげさまで今ではたくさんのご愛用者の方がいてくださり、その方たちの幸せに繋がっているのです。
一時期、私自身も爽美林の仕事に携わっていたことがあり、お客様のお肌の悩みや、解決できた喜びなど、たくさんのお手紙で触れることができました。
お肌の悩みは、深く、ご本人だけでなく、ご家族皆さんが「なんとかしてやりたい」と模索されていることが多いのです。
探して探して、たどり着かれた「爽美林」
そんな「大切な人を思ってひねり出した新しい仕事」が「また別の、大切なだれかを幸せにしているのだ。」
を、身をもって感じています。
目の前の人に喜んでもらう
奈美さんのnoteを読んで、改めた感じたこと。
目の前の人、大切な人の笑顔だけを考えて行動すると、結果、たくさんの人の笑顔をみることができる、ということ。
情熱を持って取り組むこと。
愛情を持って取り組むこと。
爽美林には「愛」がいっぱい詰まっています。
どういう思いで作られた商品か、ということが、実際に入っている成分以上に身体にダイレクトに伝わっていくのです。
「思い」は伝わります。
物にも、目に見えないけれどエネルギーが確かに存在しているなあと、いつもいつも感じています。
そんな思いのいっぱい詰まった「爽美林」。
今は私の弟が会社を継いで製造販売しています。
たくさんの人のお肌のお悩みに寄り添っております。
(*ちなみに父親は新たな会社を設立しており、そちらは私の夫が継ぐことになり……。これについても、いつか記事に)
風の時代が始まった、といわれています。
やっぱり、愛なんだな。
愛があるもの、思いのあるものが、伝わるんだと感じています。
奈美さんの書かれる文章には愛がいっぱい詰まっています。
奈美さんが「愛」の人なんだろうな。
大切なことを思い出させてくれたnoteに感謝します。
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