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鬱真っ最中に産みましたpart1

以前の記事で書いていたとおり、私は鬱で学校を辞めました。
そして、しばらく経ってから再就職をしました。調子は安定していたし、環境を変えればまた社会人として仕事をしっかりとできると思っていたから。


しかし、鬱は完治なんてしていませんでした。今なら分かりますが、鬱はそんな簡単に治るものではない。鬱とうまく付き合いながら働く人もいますが、私はそれができませんでした。

ハードワークできついな〜と思っていましたが、またダウンなんてしたくない。絶対に今度は負けないと強く思っていました。しかし、ある朝、起きると声が出なくなっていました。

失声症でした。

声が出ないため、恥ずかしながら母にLINEをして、職場に電話してもらいました。
私は心療内科にすぐ行きました。当時、私はしばらく通院していませんでした。勝手に治ったと決めつけ、もう必要ないと判断していたからです。

先生は『ストレスが原因でしょう。身体がSOSを出しています。休むことは恥ずかしくないですし、休みませんか?』と言いました。

“また病気になってしまった…負けた…”

と絶望しましたが、声が出ないというはっきりした症状が出ていたので、休むほかありませんでした。

声は、1週間ほどで元に戻りました。しかし、また大きな変化が起こりました。それは、病休を取ってから1ヶ月経った頃に分かった妊娠です。

私には婚約者がいました。本来ならば妊娠は喜ばしいこと。しかし、病休を取っている身で妊娠•出産をしていいのか…と毎日悩みました。

子供を産みたい。
休んでいる身での妊娠は、職場に迷惑をかけるのではないか。
鬱の私が母親になる資格があるのか。
職場の人に厄介者と思われるのではないか。

そんな考えがずっと頭の中をぐるぐると回っていました…
なかなか職場に言えずにいました。そのまま退職しようかとも思いました。

そのことを心療内科の主治医に伝えたところ、これ以上ストレスをかけてはいけないから僕が伝えます。と言ってくれました。そして、本当に職場に伝えてくれました。先生には感謝しかないです。

職場の方々の反応は分かりませんでしたが、産休に入るまでに体調が戻り、復職できそうならする。できなければ、病休と産休を繋げることなりました。

これで安心。復職と出産に向けて療養に励み、穏やかに過ごせると思っていました。
しかし、これからのマタニティライフは全く平坦なものではありませんでした。

長くなったので続きます⭐️

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