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晴れと雨の間に

破顔大笑、という単語を初めて知った。
一笑と違い、「顔を綻ばせて大笑いすること」だそうだ。
ベンチで指を組み、キャッチャーの方を見つめ、カメラからの視線を逸らしている。
アウトカウントが増えるたびにマウンドの益田に対して拍手を送る、佐々木朗希が9回表に見せた笑顔だ。

『おはようございます。今日はよろしくお願いします。』
駅前に設置されたマーくんとリーンちゃんの像に心の中で挨拶をして、空の写真を1枚撮る。
幕張は春らしいよく抜けた青空に包まれていて、予想気温が昼には25度を超えるという。

同じ目的地に向かうであろう人の波に乗りながら、オンラインで始まった配信に耳を傾ける。
目的地で着席し会場視聴に切り替えたあたりで、場内には何故かカラスの声が響き渡った。
どうやら数日前から抜けられずにいるらしい。講演スペースの上を2羽で飛び回っては、3年ぶりのイベントを一緒に聞き入っている。

年寄りになったらこれくらいのサイズの車に乗りたい

幕張での仕事終わりにいつも寄るサウナがある。
「天然温泉湯〜ねる」
海浜幕張駅から各駅停車で2駅、新習志野駅前ロータリーに面した施設内にある。
行ったことのあるとこよりもアクセスがよく、そしてサウナの温度が高い。
今は、「ヤッターマン」とのコラボイベント中のようで、のれんにも愛ちゃんがいる。

愛ちゃんに呼ばれて中へ

どの球団にも、特別な愛情をファンから注がれているんだなと感じる選手がいる。その愛情は期待の現れでもあり、またファンとしての誇りでもあるように思う。
佐々木朗希は、おそらくそういう選手なんだろう。

露天風呂から見える、いつもは映画が投影されているスクリーンには、まさに佐々木朗希が今投げている幕張での風景があった。
まだ少しNPB球に戻せない部分があるのだろうか。
引っかかったようにワンバウンドしたフォークを田村が止めきれず、ランナーは一気に3塁へ。

まだプロ野球の世界に身を置いて4年目だというのに、ここで一段ギアを上げる技術があるのが、佐々木朗希のすごさだ。
長い脚を振り上げ、股関節を器用に使って投げ込んだストレートは、栗原になんなくゴロを打たせて3アウト。

露天風呂に肩まで浸かると微妙に見えなくなるスクリーンを見上げ、武田翔太の落ち着いたマウンド捌きを見たところで、私は2セット目のサウナに向かった。

いったん休憩したところで、ヤクルトの速報に目をやる。
同級生ネットワーク、ナガタケライン。
山田哲人がいない神宮で、ランナー長岡を同期の武岡が本塁に返したところだった。
「今週、サウナに行くたびに点数が入る」と呟くと、「月曜以外毎日入って」と定型文が即返ってきた。
ヤクルトからは、そろそろサウナ手当が支給されてほしい。

20時過ぎ、滝のような汗をかいて外に出ると、ちょうど益田が金ネックレスの位置を直し、何かを呟きながら投球練習を終えたところだった。
スコアは1-3。
おあつらえ向きのセーブシチュエーション、というやつだ。

インフィニティチェアに体を預ける。目を閉じると、身体の中心から手足の先に向かって熱が伝わり、やがて暗闇の中で天地が掴めなくなる感覚がやってくる。
昼間に感じた暑さが消えた外気で、今度は指先から現実世界に戻ってくる。

少し間をおいてサウナハットの隙間からボゥっとした頭でスクリーンを見上げると、なぜか1塁が埋まっていた。
心の中で、「益田さん?」と呟く。
ヤクルトであれば、「あぁ、いつもの4凡待機ね」となるところだが、盛り上げ方を知っているクローザーは格が違う。

今シーズンから3塁にコンバートされたばかりだというのにすでに4番に定着した栗原が、セカンドのグラブのわずか先へ抜けるライト前を放つと、続く牧原はフルカウントまで粘ってのレフト前ヒット。

「ちょっと益田さん??」
思わず声が出た。
前のめりになってしまって、インフィニティチェアのはずが再び重力がかかる。

こういう場面で、いつも思い出す人がいる。
現・ソフトバンクの投手コーチ・斉藤和巳だ。
彼が、まだフリーの解説をやっていた時代に、「ゲームさんぽ」というYouTubeの番組で語った内容だ。

メンタルは強くないですよ。強くないから事前に準備します。だから、マウンドで起きたことはすべて想定内になっているので(中略)、頭で試合前にやるんで。パンクするくらい。

【いい話】斉藤和巳さんとプロスピの選手データを見ながらメンタルについて聞いた

まさにそのコーチが対戦相手にいるわけだが、益田もそれくらいの準備とメンタルトレーニングはこなしているのだろう。
歴戦の猛者はゆっくりとネックレスの留め具の部分を首の後ろに回し、しっくり来る場所にした後、今宮にセカンドフライを打たせ1アウト。
ガルビスには、小川が一瞬投げる先を躊躇する深めのゴロを打たせて2アウトの間に1者生還。

2-3、まだ大丈夫。まだ勝っている。
佐々木朗希の長い指は2アウトを指している。
昔は神宮ベンチにグラブを叩きつけていた吉井監督も、今は顔色ひとつ変えずにマウンドの益田を見つめている。

1ボール2ストライク。
ここぞの場面で長打も打てるのが俊足だけではない周東のこわいところだ。
しかし、高めに投げ込めた益田の勝ち。
飛距離の出ないセンターフライで3アウト。

佐々木朗希の破顔大笑。
吉井監督はハイタッチののちに、汗を拭く仕草をしながら整列一礼。

涼むどころか、すっかり冷え切った身体を湯船につけたところで、額に雨粒が落ちてきた。
テンションが上がると雨が降るのは、まだ治りそうにない。

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