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「最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て」/俵万智

タイトルにもある

「最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て」

という俵万智さんの短歌をご存じでしょうか?

私はまだ子どもを持つどころか、どちらかといえばまだ子ども側で、かといってモラトリアムは過ぎ去っている年齢ですが

この短歌には共感を禁じ得ないというか、背筋が伸びる気がするのです。

子どもの成長過程では、何かにつけて「最初」というものが印象に残ります。

初めて自転車に乗れたとき、初めて漢字を書けたとき、初めて荷物を持ってくれたとき

何かが始まるということは何かが終わるということです。

将来子育てをすることになったとき、たくさんの「初めて」に感動することで手一杯で

それと同じくらい「最後」が過ぎてゆくことになかなか気づけないんだろうな、と早すぎる感傷に浸る新社会人であります。


私がこの短歌に共感した理由は今後経験することになろう子育て(思い通りに人生が進むと思うなナラ野!)を思ってのことだけではありません。

この短歌の刹那性は子育てをする親だけでなく、当人の人生全般に当てはまることであるからです。

思い返せば、「最後とは知らぬ最後が過ぎてゆく一瞬」はこれまでたくさんありました。

初めてジャンプを読んだとき、500円玉を握りしめてコロコロコミックを買いに走ることはなくなりました

初めて一人暮らしをしたとき、うんざりするほど通った通学路は歩かなくなりました

初めて好きな人ができたとき、昔からお気に入りだった服を着ることはなくなりました


実家に帰省した折、祖父母の携帯の機種変更を手伝うことがありました。
実家に立ち寄ると発生する必須イベントです。

私はこれから何回も機種変更の予定がありますが、祖父母はどうなんだろうと思ったのです。
あまり考えたくないですが、私より確かに人生のクライマックスは近いわけで。不謹慎ですが本人が言っていたのでご容赦を!

きっと当人にとっても周りの人たちにとっても「最後とは知らぬ最後」がたくさん過ぎてゆくんだろうなと言いしれぬ気持ちになるのです。

みなさんも「最初」だけでなく「最後」にも目を向けてみると今まで以上に大切に日々を過ごすことができるかもしれません。

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