一発大逆転の技
最近、「一発大逆転の技」を手に入れつつある。
例えば今日の朝、私はコップを倒し、お茶をこぼした。
ばちゃーと盛大にこぼしたので、お茶は机の上にとどまらず、床にも滴る。
最悪だ。
ため息をつきたくなる。
と、ここで、「一発大逆転の技」を発揮するべき時がくる。
この最悪な出来事が起きてよかったと思えるようにするにはどうしたらいいのか考えるのだ。
この例で言えば、私は机と床にこぼれたお茶を拭くだけでなく、お茶がこぼれていないところの床までピカピカに拭いた。
すると、あら不思議、さっぱりした気分になった。
「ああ、お茶を盛大にこぼしてよかった」とまではならないにしても、「お茶をこぼしたおかげで、いつもはできない床の雑巾がけができちゃった」とちょっとポジティブな気持ちになる。
お茶をこぼした瞬間は、この世の終わりみたいな気分だったけれど、お茶を拭くついでに床をピカピカにするだけで、鼻歌を歌いたくなっちゃう。
これぞ、一発大逆転の技。実はいろんな場面で使えちゃう。
もちろん、人生そんな簡単じゃないわけで、この技が使えないほどの最悪の気分を経験することだってたっくさんあるけれど、立て直せる程度の気分の落ち込みは、瞬時に自分で何とかしよう!
こんな小技じゃどうにもならない時は、おいしいもの食べて、気が済むまで泣いて笑って、いっぱい寝る。それだけ。
この「一発大逆転の技」の重要性を示すために、話がいったん飛びます。
・・・
最近読んだ本に、心理学者のこんな言葉が紹介されていた。
人に構ってもらいたくなる気持ちそのものは、別に特別なものでなく、みんなが持っているもの。だけど、その誰もが持っている承認欲求を満たすために取る言動に、人それぞれの個性が滲み出るのだとその本には書かれていた。
他人に自分の存在を認めさせたくて、他人が喜ぶことをする人もいれば、他人を傷つけることをする人もいる。らしい。
私の日常に当てはめて、例をいくつか考えてみた。
「私、いま落ち込んでるんです」のアピールは、したところで、聞いた人の気分が下がるだけだ。自分の機嫌くらい自分で取っていたい。(でも時には人に甘えるべき)
「私、こんなことできるの、すごいでしょ」のアピールも、よっぽど自分に自信のある人でなきゃ、聞いていて傷つく。人から聞くのも自ら話すことも、個人的にあんまり好きじゃない。
だけど例えば、「あなた(達)に認められたくて、こんな風にあなた(達)に貢献してみました」って人のために行動するのは、まだポジティブな承認欲求の示し方のような気がする。自分がしたことが誰にも気づかれなかったり、相手から思っていたような反応がもらえなかった場合、承認欲求が満たされないというのがちょっと怖くはあるけれど。少なくとも、誰かを傷つける確率よりも誰かを喜ばせる確率の方が高い承認欲求の示し方ではないでしょうか…?
話が大きく逸れたけれど、
自分の中に存在する”悪”だと思っていた承認欲求は、人間として持っていて当然のもので、
さらにその示し方には、大きく分けて2つあって、
誰かを傷つけ得る方法では承認欲求を満たしたくないし、
できるだけ誰かのためになる方法で承認欲求を昇華したいよね
というのが、最近私が学び、考えたことでした。
そして、そのために編み出した手の一つが「一発大逆転の技」。
誰かを傷つけてしまう可能性があるどんより気分を他人にアピールしようとするのではなく、できるだけ自分で回収する。
その代わり、もっとポジティブな方法で人に認められるようになりたいな。
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