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【オーストラリア留学】2学期授業のふりかえり

留学2学期目に取った授業の振り返り。
今学期は、学びの濃度が高かった分、ちょっとしんどかった。テスト期間関係なく図書館に入り浸っていた気がする。だけど、学びの体力(?)はついたと思う。運動してなさすぎて老後の健康が心配ではあるけれど、留学中につけた学びの体力はこれからの人生、学び続けるために必要なはず…!

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私が学びの振り返りをするための、誰の得にもならない授業ごとの記録。

Development Poverty and Famine(開発経済学)
途上国の問題とそれにどう取り組むべきかを経済学的観点から学ぶ授業。絶対的に貧しい国がなぜ存在し続けるのかは、私の中でずっと持っていた一番の疑問。もともとのモチベーションが高かったこともあって、一番学びの多かった授業だった。

途上国の問題がどのように取り組まれているかを見る前に、そもそも国をよくするためにされる政策の効果をどうやって測るのかというところから学んだ。政策の効果を表す数字をプログラミングソフトを用いて分析する方法を学んだり、政策が適用された国の特色や適用された人の個人的特徴を省いて、政策そのものの効果をあぶり出す方法について学んだりした。これは経済学の論理の実際の効力を確かめるためには必要な過程で、開発経済学に限らず、経済学はこうやって少しずつ発展していったのだろうなと思うと面白かった。

それから、開発援助や教育、衛生、政治、食料、様々な観点から、途上国の問題はどう取り組まれるべきだと考えられているのかを学んだ。この授業で好きだったのは、論理をただただ学ぶのではなくて、実際にある論文をもとに、「この研究者はこれが知りたくてこの国でこんな研究をして、こんな結果を得た。でもこの研究の問題はこうで…」って学んでいけたこと。そんなことあるかどうか分からないけど、これから開発経済学の論文を自分で読むときに、どういうところに着目して、どんな風に批判的に見るべきかが分かったと思う。

結局、どの問題もこれといった解決策はまだ見つかってないという結論だったのだけど、どういう現実があって、現在どんな議論がなされているのかが垣間見れたのが面白かったな。1年前に「国際協力・開発論」っていう、途上国の問題を国際関係的視点から見る授業を日本で取って、この授業と同じように開発の問題に解決策はないよっていう話だったのだけど、全体的にふわっとしていて物足りなさを感じていた。だけど、同じようなことを経済的視点から学ぶと、数字で測られる根拠があって結論に至るまでの道筋が見えて、楽しかった。

しかもこの授業、大学院生の人たちと一緒に受けられたのね。この分野についてほんとに興味があって研究したいと思っている人たちとの授業は刺激的だった。その人たちの授業中の発言はいちいち面白くて、すごいなぁって羨望の眼差しで見つめていた。あと、インドネシアやブータン出身の大学院生の方がいて、その人たちの口から直接聞くその国の政治や経済のお話は貴重だったなと思う。そして、大学院生たちが一緒に受けるということがあってか、テストは難しかった。(4人に1人以上がフェイルする中間テストは、さすがに作った人にも問題があると思うけれど…)刺激でいっぱいだったんです。

かなり際どいジョークを交えて授業をしてくれる南アフリカ出身の教授は面白かったし、クラスに友達もできて、色んな意味で面白くて楽しかったな。

Asian Economies(アジア経済)
「発展している」とはそもそもどういうことなのかということを考えながら、アジア地域の中で、発展した国と発展しきっていない国があるのはなぜだろうかと学んだ。

この授業はまず、毎週のリーディングの量が多かった分、得た知識の量も多かった。「発展している」の定義はGDPだけじゃなく、もっと幅広い指標に頼るべきと主張する200ページの本を学期を通して読み進めつつ、毎週アジア各国について書かれた文章を読んで、その国の課題や未来について考えていった。経済学部の授業ではないから政治的側面が多めで、アジア各国の状況を知るのは面白かったし、発展に成功した例として出てくる日本についての話を日本人でない人たちから聞くのは新鮮だった。

そしてこの授業のポイントは、講義のほかに週に1時間、5,6人という少人数グループでのディスカッションの時間があったこと。その週授業で扱われた国とテーマを基にディスカッションクエスチョンが用意されていて、みんなで話し合いをした。そのクラスで唯一の日本出身の私は、日本の政治経済の状況について一番知っているべきだし、間違ったことは言えないというプレッシャーがあった。授業では、日本はアジア各国のロールモデルのように扱われがちだったけれど、今の日本にもかなり深刻な問題はあるからねということを伝えたくて色々調べたり考えたり。そして、オーストラリア出身の人たちが私の日本の話を聞いて、オーストラリアと日本との比較をして分析してくれたりして。いい経験だった。

同じアジア圏の国とは言えど、各国特有の歴史や文化がある中で、経済発展したように見える国のマネをしたら全て上手くいくほど単純ではない。その一方で、1つ1つの国の問題を掘り下げていったら、その原因や複雑さ、規模は違うけれど、似たような厄介なウイルス的なのが各国に存在するなと個人的に思った。なんか、難しいけどね。結局、難しいやっていう言葉で片付けちゃうのだめだよね。だけど難しさに頭を抱える時間があってよかったです(?)

Global Citizen: Culture, Development and Inequality(人類学から見たグローバル化)
地球規模で起こっているように見えるグローバル化の影響を人々はどのように受けているのかを人類学的に見るクラス。グローバル化ってどの国や地域も均一にするイメージを持たれがちだけど、実際、ミクロな視点で見ると、大きな不平等がグローバル化の波に隠れているを学んだ。前2つの授業に続き、この世に存在する大きな格差について考えることになった。経済、アジアの政治・国際関係、人類学、色んな面から格差について考える、いい授業の取り方をした気がする。たまたまだけど。

まず、人類学の論文を読むのが面白かった。ある地域のある特定の人を追って書かれているから、研究者が伝えたい問題とか現状が想像しやすい。だから、例えばファストファッションの問題はこれまで何度か学んできていたけど、この授業を通して、実際に影響を受けている人の想像がより鮮明にできるようになって初めて、エシカルな消費者になろうと強く思った。

人類学のミクロな視点は大事だと思ったし、ミクロな視点でグローバル化のようなマクロな事象を見るのは初めてで面白かった。

内容以外にも得たものがいくつかあって。まず、この授業もアジア経済と同じくリーディング量が多かった。しかも2週間に1回、合わせて200ページ弱のリーディングの内容をテストされるということで、手を抜けなくて。最初はこれが本当に大変で、正直この授業のリーディングだけで押しつぶされそうだった。しかもテストもあまり点が取れなくて。

だけど、回数を重ねるごとに、たぶん英語の論文を効率的に読むのがちょっと上手くなったのと、テストで聞かれやすいポイントが分かるようになったのもあって、そこまでストレスを感じずに論文を読んで、しかもテストの点数を上げられるようになった。自分の成長を感じられて嬉しかった。

あと、このリーディングのテスト、個人個人で解いた後に、同じ問題をグループで相談しながら解くという形式が取られていたのね。個人でのテストの結果もグループでの結果も成績に反映されるから、どっちも大事で。最初は、この問題はこうだと思うっていうのを誰かが言ってくれて、それに対して他のメンバーみんなが頷いていたら、自分は違う答えを持っていたとしても何も言えなかった。自分の答えが間違いで、それにみんなを巻き込んだら申し訳ないなという気持ちで。

だけど、時々だけど、みんながこれが答えだよねって言っているよりも私の方が強い根拠があって別の答えを持っていることがあることに気が付いた。間違っている可能性が高い方にみんなが行ってしまうのを黙って見守るのは人間としてどうなのってふと思って。だから、自分の答えに自信と根拠があるときは、みんなとは違う答えだとしても口を挟めるようになった。

「私はこうこうこういう理由で、こうだと思うんだ~」って言うのは思っていたよりも簡単だったし、私がこう言うことで「なるほどね」って納得してくれることもあれば、「いや、逆に自分はこういう根拠があってこの答えにしてたんだよね」っていう意見交換がより活発にできる場になったりして、なーんにも悪いことは起きなかった。逆にいいことしかないやんって。これが私の2つ目の成長。まだまだ頭の中にある考えを黙っていることも多いけれど。成長の第一歩を踏み出させてくれたこの授業、ありがとう。

Behavioral Economics(行動経済学)
この授業は、前学期たまたま仲良くなった子たちが取るっていうのを聞いて取った。理由薄め。だけど、勉強して面白かったし、経済学を学ぶ人はみんな1回行動経済学を学んだ方がいいのではないかとまで思うようになった。

経済学は、みんなが合理的に行動するという前提があって初めて成り立つことが多い。だけど、その前提と現実世界で人が実際に取る行動にはギャップがある。経済学的には合理的でない人々のその行動をどうやって説明しようと試みるのが私の中での行動経済学。全然違うかもしれん。

行動経済学を学んだことの私の日常生活への影響がものすごくて。買い物をしながら棚に並ぶ商品と値段を見て、行動経済学で習ったことを考えるようになってしまった。商品の性質と値段設定から販売者の意図を考えたり、品薄になっている商品を見て、それを選ぶ消費者の行動を説明しようとしたりと、頭の中がかなりめんどくさいことになった。

あと、これはクラスの友達と話していたことなんだけど、行動経済学で学んだことって、普段の人間関係にも適用されるくないかって。好きな人がいたとして、その人に想いを伝えるのと伝えないのと、どっちの行動を選んだ方が自分にとっていいのかを考えたり。友達と喧嘩して、相手の考えていることを想定した上で、自分と相手にとって一番いい行動はなんだろうと計算してみたり。

結論、行動経済学は偉大でした。とりあえず、私はこれから自分の取るべき行動に悩んだら、授業で習った図を書いて計算することにします。

あとこの授業を取ってよかったことは素敵な友達ができたこと。前学期、マクロ経済学の授業で仲良くなった子が、もともと仲良くてたまたま行動経済学を一緒に取っていた友達を数人紹介してくれた。みんな、ほんとーうにいい子たちで、ほんとにほんとに大好きで。

別に特別興味があって取った訳じゃないけど、何か行動するときに考える指針みたいなのが新しくできたし、素敵な出会いがあったしで、取ってよかったです。

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こんな感じで、私の留学の学術的な学びはおしまい。

留学して初めて経済学にどっぷり浸かったのだけど、経済学の考え方は私に合っていると思う。正直、政治とか国際関係の話って、人間同士の思惑が複雑に絡まっているのが見えてきて嫌になることが私は多いけど、人間の行動を経済学の枠に当てはめるとシンプルになって私でも耐えられるし、面白くなる。その分、色々大事なものを切り捨ててるんだろうけどね。物事の本質を見るという点では経済学が活躍するんじゃないかな。何も知らない若造が色々間違えたことを言ってるかもしれないけど、大目に見てください。

あとはオーストラリアで、しかもオーストラリアでトップレベルの大学で1年勉強してみて、自分の特徴がより分かったと思う。たぶん政治的な知識とかそのほか諸々の知識のベースが少ないことがあって、ディスカッションとかで斬新なアイデアを思いつくのは不得意。

あと、私の中で独自の思考の枠組みみたいなのができてしまっていて、それから大きく外れた思考の仕方(論理の立て方?)を持った人から何かを学ぼうとすると、変に体力を使う。簡単なことで、みんなが理解してることでも私だけこけてしまう。その人のものごとの捉え方を私の考え方にいちいち変換しなきゃいけない。オーストラリアに来てからこれをより実感したのは、たまたまなのか、それとも何か文化的、言語的なものがあるのか。いろんな文化、言語の背景を持つ教授に出会ったからね。わからないけど。もう少し柔軟になった方が楽かもしれないと思った。

逆に、ここで再認識した私の強みは、粘り強いところ。難しいやってみんなが考えるのをやめちゃうところでも、(私が興味あることに限って)考え続けられるし、分かるまでとことん粘れるところは、日本にいても日本の外でも私の強みとして際立つんじゃないかと思った。毎朝同じ時間に図書館に行って勉強するっていう一貫性も、自分の中では普通だと思っていたけれど、普通ではないのかもしれないという気づき。この強みの活かし方が分かれば私はもう少し自信が持てるようになると思う。

学びに関することではこのくらい。
学びの世界が広がった気がする。留学来てよかった。あとは授業外で学んだことも今度文字に残そうと思って。またまた超大作になりそうだけど。

先学期と同じように、私を癒してくれた空の写真を残しておしまい。



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