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暮らしとか、仕事とか

満員電車に揺られて9時から17時まで働いて、家に帰る。
そういう働き方や暮らし方が主流だった時代に比べて、今は選択肢が多様にある。
大企業で働くことだけが暮らしを豊かにするための正解の道じゃなくなったからこそ、
悩む人も増えたんじゃないかなあ、と思う。

あくまで人生のベースは"暮らし"で、
暮らしを豊かにするために仕事や趣味があって、家族やパートナーがいて、
どの要素が大事で、どのくらいの割合を占めるのかは人によって異なって。
さらにいうと同じ人であっても人生のフェーズによって異なって。

そんなことを大事にするために今の事業をはじめたはずなのに、
気がついたら生活のベースが仕事になっていた(笑)
もちろん今の私の人生フェーズが「ちょっとギアいれて頑張る!」なのかもしれないけれど、
枯れたまま花瓶にささる一輪挿しをみて、「あれ、最近暮らしを大事にできているっけ?」とふと我に返った。

先日、「駆け出しのフリーランスはセルフブラック化しやすい」という話を聞いて、
なんだか今の私に似ているところがあるな、と思ったのを思い出した。
独立したてでまだ仕事がないうちは、どんな仕事でもありがたくて断れなくて、自分のキャパを超えて頑張ってしまうのだという。そして、自由に働きたくて独立したはずなのに、気がついたら会社員時代よりも働いている、ということが起きてしまうらしい。
その時は断る勇気が大事だよねとか、量じゃなくて単価をあげるような働き方を目指すべき、みたいな話に落ち着いたのだけれど、こと暮らしにおいても同じことが起きうるなと痛感した。

私は一人暮らしで、パートナーもいなければシフト休みで友達ともなかなか予定が合わなくて、
どこまででも自分を追い詰めて頑張れてしまう環境にある。
「今が一番お金も時間も全部自分のためだけに使える期間だ!」と思って写真の勉強を始めてしまったのも相まって、
起きている時間は常に何かを考えているし、インプットとアウトプットを繰り返している。
それはそれで自分の成長を感じて嬉しいのだけれど、すっかりゆっくり休むことができなくなってしまった。

誰かと暮らしていたり守るべきものがある人に比べて、自分で自由にコントロールできる範囲が広いからこそ、
ちゃんとコントロールしないとのまれてしまうのだと思う。
休むことが苦手ということは自分を大事にすることが苦手ということにも直結していて、
「もっと頑張れるはず」「こんなんじゃまだまだ」と、どんどん自分を追い込んでしまうのだろうなあ。

「豊かさ」とは、別になくてもよいものやことに時間やお金を費やせることだと思っていて。
「自由」とは、多数の選択肢から自分の意志でひとつを選べることだと思っている。そしてその選択によって生じる責任も、一緒に背負うことだとも思っている。

今のフェーズなら倒れないうちはちょっと頑張り続けても良いかなと思う自分もいれば、
自分を大切にするためにも休むときはちゃんと休んだ方が良いよと思う自分もいて。
ついついよりよい未来を目指して今を犠牲にしてしまいがちなので、
「今日の私が豊かさを感じられているか?」をベースに、少しずつ自分の暮らしを立て直していけたらいいな、と思った。
まずは誰かとゆっくりご飯を食べたり、季節のお花を買ったり、ゆったり湯船につかったり。
「大丈夫、今の私はじゅうぶん頑張っているよ」と、自分を労ることから始めたいな。

このあともzoomが1本あるから慌てて作り置きをかき込んで一筆書きでこのnoteを書いているけれど(全然学んでない笑)
「27歳の頃は常に何かに追われながら頑張っていたなあ、でもあの時の自分がいたから今の自分がいるんだよな」と思えるよう、もうちょっとだけがんばろうと思います。
がんばることも、がんばらないことも、自由に選べる自分になることを、28歳の目標にして。

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