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視座を深める1年へ

元来私は勝負事が大好きだ。
元旦におばあちゃんの家で行った百人一首では大人気なく42枚も札を取ったし、その後のポンジャンもめちゃくちゃな点差をつけて勝った。
たとえそれがゲームだとしても、負けると本気で悔しいし、勝つととても気分が良い。
だから、気をつけないといけないなといつも思っていた。

"相手も自分も心が動く瞬間があるような仕事をする"
"目の前の人が過ごしたい自分でいられるような場づくりをする"

そんな理想を掲げて、
勝つことではなく"なぜ勝ちたいか"が大事だと信じて、
ひたすらに目の前のひとに向き合ってきたけれど。

それは"人の役に立つこと"というルールに形を変えた、同じゲームに過ぎなくて。
目の前の人に喜んでもらえれば、勝ち。
「ありがとう」「出会えてよかった」と言ってもらえれば、勝ち。
きちんと相手の役に立っていれば、勝ち。
そうやって勝つことが、自分の価値になっていった。

教育系NPO団体でインターンをしていたときも、
テーマパークでアルバイトをしていたときも、
旅館で働いていたときも、コミュニティマネージャーをしていたときも。
"コミュニケーション"や"接客"がひとよりすこしだけ得意だった私は、その場でどうやって価値を発揮するかに一生懸命取り組んでいた。

もちろん、それが悪いことだとは思わない。
ひとの役に立つことも、誰かに喜んでもらうことも結果的には自分のためにやっていることだし、相手も嬉しいなら総じてハッピーだ。
だけど、勝ち負けの指標だけで物事を判断してしまうと、
負けたとき(厳密には自分でこれは負けだと定義したとき)にとてつもなく苦しくなる。

目の前の人に喜んでもらえない自分は、負け。
「ありがとう」「出会えてよかった」と言ってもらえない自分は、負け。
きちんと相手の役に立っていない自分は、負け。
そうやって負けることで、自分の価値を信じられなくなってゆく。

今でも私は自分にも他人にも厳しくて、
自分にも相手にも「勝ち」を強要してしまうことがある。
それは幼い頃から親や周りのひとたちに自分がされてきたことで、
今更根本から変えることは難しいのだけれど、
ああ、今の私は勝ちを強要してしまっているな、負ける自分のことをゆるせないのだな、とその都度ハッとできるようになってきた。

結果を出すこと、目の前の人に喜んでもらうこと、自分の価値を自分で信じられること。
過程を大事にすること、役に立てない自分をゆるすこと、自分には価値があると絶対的に思えること。

正反対のようにみえるこのふたつの瞬間は、今の私にとって同じくらい大切なもの。
どちらの自分も自分だからこそ、
「ああ今は勝ち負けにいこだわりすぎているかもな」
「今の私は、自分のことが好きだと思えるな」

と、バランスを整えながら生きてゆくことが何より大事なのだろうな、とやっと思えるようになってきた。

そもそも私は、二兎を諦め悪く追いかけ続けて、どちらも得るような性格で。
一見トレードオフのようなふたつを得るために、努力を努力と惜しまず向き合う人間だった。
だから今年も、"勝ちたい自分"と"負けてもいいと思える自分"のどちらも大切にしながら、
どちらの自分も好きだと思いながら、生きてゆけたらいいなあ。

そして最後に。
2021年は、できることが増えて、仕事のやり方も前よりわかってきて、
いわゆる「視座が高くなった」年だったように感じる。
低い位置では見えなかったことが一気に見えるようになって、嬉しかったり悔しかったり、いろいろな経験をした。

だけどやっぱり、高い位置から物事を見て判断するよりも、
私自身や目の前の相手自身も見えていないもっともっと深いところで物事をとらえて、「そうだよね」と寄り添えるような人でありたい。
だから今年は、視座をどんどん深めていって、幅広い視野で組織や社会を見られるようになりたいな。

それでは、2022年もどうぞ、よろしくお願いいたします!

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