カナダまでの道のり〜ドタバタ出発記〜

お久しぶりです。カナダに到着しておよそ1ヶ月が経過しました。親愛なるみなさま、いかがお過ごしでしょうか。わたしは元気です。

こっちに着いてから一応日記はつけているのですが、やはり手書きだと具体性を欠いてしまうのでおもしろかったことや印象を受けた経験などは随時こちらに残していきたいと思います。

ということで今日は出発日について。

当日の話をする前に、それより前の話から。

出発2日前、パッキングも必需品の買い出しも何もかも終わっていなかったわたし。
4月はバイトなかったのにね。おかしいね。

なんと歯医者に行ったのも出発の前日。

担当の人「留学行くんすよね、どこ行くんすか?」
わたし「カナダです」
担当の人「いいっすねー!いつ行くんすか?」
わたし「明日です」
担当の人「明日⁉️」
わたし「(ᵔᴥᵔ)」

父方と母方、両方の祖母に挨拶をしに行ったのも出発前日。母方の祖母は、「絆創膏持っていきなさい!」という可愛いアドバイスをくれた。ステイ先に到着するなり猫に指をかっちゃかれたわたしは、(絆創膏使う場面きたーーー!!)と感動した。ありがたい。父方の祖母に関しては、挨拶のタイミングがあまりにもギリギリだったため「1年いなくなるっていうのに外食にも誘われてないし…」とめちゃくちゃ拗ねてしまっていた。父方の祖母には若干メンヘラの血が流れている。挨拶に行くのが遅れたのは完全にわたしが悪いが、親戚を集めての外食を断ったのにはそれなりの理由があった。

父親に「出発前にみんなで焼肉でもどうだ」と言われていたのだが、わたしが主役みたいな会を開かれるのがなんか嫌だったのと、お前わたしの送別に託けてただ焼肉食いたいだけだろ、と思ってしまい即答でNOと答えた。可愛さのかけらもない娘だ。

かなり前の話なので当のわたしはすっかり忘れていたのだが、まさかそれで祖母が寂しい思いをしていたとは思いもしなかった。

それでも、わたしの送別会を誰か他の人のために開くのは違うと思う。
わたしはそういう人間なのだ。

翌る日、遠方から三女が帰省してきた。たまたま土日休みの職場に勤めているため空港までわたしを見送るために来てくれたのだ。片道2〜3時間もかけて。
読んでる人、泣いてないか?目頭が熱くなるよな。

さらに感動的な話をすると、仕事で来れなかったはずの次女も夜遅くに帰ってきてくれた。

わたしの前回のnote、ワーホリ費用を貯めるために馬車馬のように労働した数ヶ月間の話を読み、仕事を後回しにしてまで来てくれたらしい。

読んでる人、泣いてないか?泣いてるよね。わかるよ。

こんなドラマチックな展開がわたしの身にも起こるんだと驚いた。プリキュアオールスターズみたいだ。

忙しいのに遠くから集まってくれた姉たち、ありがとう。今回積んだ徳が、きっとなにわ男子のライブ当選につながることを願ってるよ。

妹は日本から遠く離れた北米の地で、これ書きながら泣いてます。ホームシックではなく、良い姉たちを持った自分の運に感動して泣いています。

そしてそんな激アツ展開の渦中でもわたしはまだ終わらないパッキングに追われていた。無計画人間の末路である。

夜遅くまでかかりなんとか荷物をまとめたわたしは次の日に備えいつもより早めに床に就いた。そして急に「明日から自分の部屋で寝れないのか…」「1人で飛行機か…」という思いに耽ってしまい、結局就寝できたのは夜中の3時ごろになってしまった。

翌朝。
ついに出発の日!そして未だに実感が湧かない自分!マジか!当日の朝を迎えても、無理なんか!24時間後にはバンクーバー?次家帰ってくるの、1年後?ええ?犬たちにも会えないの?1年も?父親が寝静まった後リビングに集合して姉と韓国アイドル見るのが日課だったのに、次それやるの、1年後????ええ??推しについて語らう時間、なくなるの??母とアイス食べながらドライブに行くのも、今年もうできないの??ええ??大好きな友達みんなにも、会えないの??帰宅1年後??ええーー!!!???
自分で決めたことなのに、脳内はちゃんとパニックだった。

出発数日前留学センターに行った時も「まだ実感ないんですよー」という話をした。「じゃあ行かないかもしれないのか」と言われて、「はい、行かないかもしれないです。来週も来月も日本にいる気がします。へへ」と答えた。ちなみに留学センターの方はわたしがなんの脈絡もなくステイ先の猫の写真を送っても対応してくれて、ワーホリと全然関係ないのに英文法とかも教えてくれちゃうスーパー徳高人間です。

当日の朝もこんな調子だったわたしにどこで実感が湧いたのかというと、乗り継ぎ先の仁川空港で「家、遠いな」と思った時と、バンクーバーに着いた時だ。遅すぎる。

新千歳空港までは母と次女と三女がお見送りに来てくれた。長女と父は仕事。お友だちのいくちゃんとゆづちゃんも、なんと朝早くから空港までお見送りに来てくれた。プレゼントとかお手紙もくれた。たまに自分がきらいになってしまって泣いちゃう時もあるけど、わたしにはこんなに良い友だちがいたんや、と思えた。

ふたりとも、マギでありがとう。

ホストファミリーへのお土産も買い、重量ギリギリのスーツケースも無事に預け、出国審査も完了した。みんなにお別れを言って一人で保安検査場に向かった。寂しさもあったけど同じくらい期待も大きかった。

国内からの直行便が死ぬほど高くて購入を断念したため韓国の仁川空港経由でバンクーバーへと向かった。これは後で詳しく書くけど、乗り換えで結構地獄を見たので10時間以上のフライトを購入する予定がある人には海外での乗り継ぎマジでおすすめしない。色々とすり減る。

前日の夜まともに寝れていなかったわたしは、韓国行きの飛行機で爆睡した。上空から北海道を眺めて感傷的な気持ちに浸ったりもしていない。ずっと寝てた。寝てたせいで機内食のお昼を食べそびれた。そもそも機内食が出ることも知らなかった。ご飯のいい匂いで起きた。わたしも食べたかった。

しっかり昼寝も済ませたところで無事仁川空港に降り立ったわたしは、ずっと憧れてきた韓国に大変胸を弾ませていた。17歳の時からコツコツと勉強を始めて、ずっと来てみたかった場所。芸能人たちが出入国によく使うこの場所。そしてほんの数キロ、数十キロ先には、愛しの推したちがいる。彼らと同じ地を踏んでいる。同じ空気を吸っている。今まで生きてきた中で一番近い距離にいる。しぬ。

そんなことを考えながら人の流れに沿って道を進む。わたしの周りに音符マークが見えるくらいニマニマしていたと思う。韓国留学もいつか絶対行く。

たくさん歩いてたどり着いた先には地下鉄みたいなのがあり、どうやらそれに乗って移動をしなければならないようだった。田舎者にはびっくりのサイズ感だった。愛しの推したちもこれに乗ってターミナル間を移動してるんかな。かわいいね。

デュフデュフしながら待つこと数分。ついに電車が来て別のターミナルへと向かった。ほんとにこの方向で合ってるんだろうか、、と不安になる瞬間も確かにあったが、それでも脳内の9.9割は同じ乗り物に揺られるアイドルの幻影で満たされていた。彼らの存在がなかったらきっとわたしは緊張と不安で思う存分デュフる余裕もなかったと思う。人生のオアシス。心の太陽。アイドルという職業に感謝。

地下鉄みたいなのを降りてしばらく歩いたりエスカレーターを上ったりした先には到着と乗り継ぎで二手に分かれる場所があった。至る所に案内の方がいて、漏れなく全員に到着?乗り継ぎ?と聞かれるので乗り継ぎ!と答え続け前へと進んだ。どうやら到着の人は入国審査のため渡される小さな紙に何かを記入しなければならないようだった。

ここからが本当に長かった。

それからめちゃくちゃ歩いてようやく「乗り継ぎ」と大きく表示された場所に辿り着いたわたしだったが、そこがダイレクトに保安検査場のような場所だったので思わず足を止めた。新千歳で預けたスーツケースが、どうもバンクーバーへ直接向かっていない気がしたからだ。もう一度フライト情報を確認するが特に記入がない。ネットで調べてもはっきりとした答えが見つからなかった。なんだかめちゃくちゃ嫌な予感がしたのでここは一つ空港の方に聞いてみようと思った。しかし、人がぜんっぜんいない。ゾンビ映画くらいいない。とりあえず乗り継ぎの場所から離れて入国審査の列に近づいてみるのだが、ここにも案内の人が全く見当たらない。うろちょろしている間にまた別の便が到着して列が長くなり人の波に飲み込まれる。これを何セットか繰り返し、汗だくになりながらなりながらやっとの思いで案内の方を捕まえた。

次のフライトまで時間に余裕があったのでスーツケースが直接バンクーバーへ行くかどうかはもはや重要ではなかった。問題は、スーツケースをピックアップするのに入国審査が必要か否かであった。航空会社の方に直接確認したかったのでなんにせよ審査をしてそこから出る必要があった。

もう焦りすぎて自分が何を喋ったのか具体的に覚えてないがなんとなく韓国語での会話に成功した。海外の空港って何が起こるかわからないから、こういう時のために乗り継ぎの空港は自分が対応できる言語の国を選ぶべきだと思った。

趣味で勉強していた韓国語がおもしろ半分で選んだ乗り継ぎ先の仁川空港でちゃんと役に立った。知は力なりとはこのことなのか。やはり諺はいつも本質を突いている。

お姉さんが「スーツケース取りに行くんですか?それならこの列並んでください」と言ったのでカムサハムニダ!と元気に返し列に並んだ。

この時点でかなり安心しきっていたわたしであったがトラブルはこの先も起こる。

言われた通り列に並び始めたものの、どうも他の人たちが持っている小さな紙が目に入る。
(さっき到着の人たちに書かせてたやつや!わたしパスポートと搭乗券くらいしか持ってないけど大丈夫なんか・・・?)
先に手続きをしている人たちの様子を見てみると、みんなパスポートの後にその得体の知れない紙を渡しているのだ。

実は列に並ぶ前一応記入してから並ぼうと思い途中まで書いていたのだが、韓国での滞在先や渡航中の連絡先など、空港から一歩も出ない、ましてや数時間後には韓国を発つわたしには必要のなさそうなものだったため途中まで描いたそれを捨て列に並んだのだった。

まあ一回行ってみよう。もしかしたら乗り継ぎの人はいらないやつかもしれない。

わたしの番が来て、パスポートを出した。機械みたいなので顔写真を撮られるのだが、寝不足+散々歩き回った疲れでめちゃくちゃひどい顔をしていた。直立していただけなのにショックでその場で転びかけた。意味がわからない。入国審査の人、入国審査官て呼んだらいいのかな、目の前で直立状態からこけてる変な外国人を見ても微動だにしていなかった。きっとガキ使に出ても彼のお尻は赤くならないだろうと思った。

その後、紙がなかったせいでつき返されたわたしはまた列の最後尾に舞い戻ってきてしまった。どうしたらいいんや。わたし一生この空間から出られないんか。

とにかくあの紙に何か書かなければならない。きっと乗り継ぎ用の書き方がある。そう思い先程の案内の人を探すが、いない。他の従業員の姿も見当たらない。この空港、一体何人で回してるんだ。

もう仕方ないので携帯で色々調べて、ついに書き方を教えてくれているサイトを発見した。命の恩人。

ものすごい勢いでサイトに載ってた例を真似て紙に必要事項を記入し、また列に並び始めた。今度こそ通してもらえるはずだ。

15分ほど並びようやく先頭に辿り着いた時、さっきわたしのことを弾いた男性が目に入る。うわ〜。さっきあんなことになったから気まずいなあ。次は違う人のとこに案内されるといいなあ。

嫌な予感はいつも的中する。

10個以上もカウンターがある中で、わたしは再度同じ男性の元へ向かう羽目になってしまったのだ。数学が得意な人、誰か確率を出してほしい。大勢のお客さんを捌いてる10人以上の審査官が、同じ人の入国審査を2回したというこの確率を。誰か。お願い。

並んでる時点ですでに恥ずかしかったけど、まあでもあの人めっちゃ無感情だったし。なんにせよこんなに大人数捌いてるんだもん。わたしのことなんか覚えちゃいないよな。

そう願いつつ向かうと、前の人の書類を確認しながらこちらをチラリと見てくる彼と目が合った。

覚えられとるーーーーーー( ^ω^ )wwwwwwww

異例であろう2度目の入国審査は無事に終了し、わたしはやっと仁川空港で自由に歩ける身となった。と思ったが、この後スーツケースを探しに行き、無事にゲットした後は(やっぱり一回韓国で降ろされてた。あぶねー)そこから出るのにまた別の紙の記入が必要で、、と、かなり面倒なことが多い乗り換えだった。この空港をもう経由地として利用することはないだろう。帰りは意地でも直行便で帰ってやるんだ。

そしてこの時、TWICEのソウルコンに参戦するためたまたま同タイミングで入国していた友達(水谷豊でお馴染みのみぶにゃん)がいたのだが、わたしが入国審査を二度もしていたせいで時間がなくなり綺麗にすれ違ってしまった。😭

それでもギリギリの時間まで待ってくれたみぶにゃん。ほんとうにありがとう。今回積んだ徳が、ありとあらゆる推し活に反映されますよう。大好きだよ。(公開告白)

仁川空港での待ち時間は、バンクーバー行きの飛行機が遅延し続けたこともあって超〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜暇だった。さっさとスーツケースを預け、推しの出国映像を見てみんなが通ったであろう場所を探してみたり。一人で水冷麺頼んで食べてみたり。あと、出国審査のお兄さん、ガタイが良くてかっこよかった。

搭乗できたのはもう22時ごろだったと思う。

待ち時間で韓国人のおばあちゃんと喋ったりした。訛っていて半分くらい聞き取れなかった。でも優しくていい人だった。

機内の座席は窓側を選択したことを後悔した。理由は2つある。隣のカップルがずっとハリーポッターを観ていてトイレに行きづらかったこと、機内食の受け取りが面倒だったこと。

あと、夜は機内もめちゃくちゃ冷えるのでもっと厚着してくるべきだったと、飛行機のブランケットにくるまりながら強く思った。

あまり眠れないままバンクーバーに到着し、移民局でVISAもゲット。そしてカナダの入国審査でもまた機械で写真を撮られた。韓国で見た自分の顔より5歳くらい老けていて笑えなかった。

空港からステイ先までは学校側が手配してくれる送迎サービスみたいなのがあり、飛行機の遅延や空港への到着など全てドライバーの方とLINEで連絡を取りながら移動していたのだが、待ち合わせの直前に電話がつながった時「目黒さん?めぐろゆきこさんであってますか?LINEの名前がゆきおめぐろさんになってるんだけどこれは間違い?」と聞かれ、内心(んなわけねえだろ)と思いつつ、どう返していいかもわからなかったので「あ、、そうですね、、(?)スイマセン…(小声)」と返した。到着までの珍エピソードはこれで全部だと思う。

それから1時間弱待った末、無事ステイ先まで送っていただきバンクーバーでの生活が始まった。

この日からもう1ヶ月・・・あっという間だったなあ・・・。

家族や友達が恋しい日もありましたが、最近は環境にも慣れてきて心身ともに健康に過ごせています。現時点で体型の変化は特にないと思っています。高校の時1ヶ月の留学で激太りできたあの時の自分が逆にすごい。太りのプロ。

明日からはTESOLの講習が始まって、それと並行しながらバイトと新たな家探しに勤しむ予定です、、!先が見えない不安もあるけど最近はそれをワクワクに置き換えられる強さが身に付いてきたような気がします。

英語から逃げそうになった時は週10くらいでバイトをしていたあの頃を思い出すようにしています。過去の自分に恥ずかしくないようにがんばります✊🏻

9月の末まで学校なのできっと明日から大忙しですが、時間を見つけてまたnote更新したいと思うます。がんばるます。

もうすぐ夏ですね。皆様くれぐれもご自愛ください。いくちゃん粉ちゃんとの放課後ドライブが恋しいです。こっちでの夏も楽しく過ごしたいと思います。

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