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女性のオシャレ革命『銘仙』

先日12/4まで埼玉県立歴史と民俗の博物館で開催されていた『銘仙』展。
地元・埼玉県民として誇れる文化がここにありました。

銘仙(めいせん)とは、大正時代から昭和初期に流行した平織りの絹織物のことです。秩父、伊勢崎、足利、桐生などの、養蚕や織物の生産が盛んであった地域で作られました。江戸時代の終わりに横浜港が開港すると、生糸(きいと)は重要な輸出品となります。江戸時代から自家用の織物としてくず糸などを利用して作られていた「太織(ふとり)」が明治時代に国内向けの絹織物として生産されるようになり、これが銘仙の生産へと繋がりました。
明治40年代に「ほぐし織」の技法が確立されると、色鮮やかな「模様銘仙」を作ることが可能になりました。
平成25年(2013)には秩父銘仙が国の伝統的工芸品にも指定されています。

展覧会チラシより抜粋

秩父のシンボル・武甲山は石灰を含んだ山です。
この石灰を含んだ水は絹糸をキレイにする力があり、同じくアルカリ性を含んだ川で糸を染色すると良い発色になったそうです。

なんとなくでしか知らなかった銘仙。
深掘りしていくように展示を見ていくと、日本の女性がオシャレへと前進するきっかけが銘仙なのでは!?と感じられました。

今回の展示は、平成30年に寄贈された個人コレクションを約500枚のなかから厳選したものを展示していました。このコレクション、実は原宿のアンティーク着物ショップから買い集めたものだそう
確かに「アンティーク着物=銘仙」というイメージがありますが、素材は高級品である絹です。当時庶民が絹を着られるようになったのは大正時代からだそうで、なかにはB級の糸で織られた生地もあり、その粗(あら)を隠すために模様をつけたり染めたりしたのではないか、とも考えられています。

ひたすらランタン!
よく見ると多彩な表現
プリントではなく、あらかじめ糸に模様を染めてから織り上げてるとは信じがたい、このテクスチャー!

銘仙の生地をよ~く見てみると、ところどころに糸の節が見受けられます。これが絹の「くず糸」を利用して織られた生地だということが分かります。とっても良い「織り味」になっていると、個人的には思います。

そして銘仙が全国的に大流行したのは戦前。
老舗の呉服屋が大型百貨店になるときのイチオシ商品として打ち出されたのが「銘仙」で、各百貨店でオリジナル銘仙を制作したそうです。
その特徴は「玉虫織」。織物のタテ糸とヨコ糸の色を変えることで、光の当たる角度によって色の見え方が変わっていく玉虫のような生地を制作しました。

正面から見ると緑っぽく見えますが…
やや斜め上から見ると赤っぽく見えるんです!


当時の女性たちの趣味趣向を反映させた銘仙は、バラエティに富んだ多くの模様を生み出しました。
どこからそんな発想が!?
それを着てどこへ出かけるの!?
その色の組み合わせアリかも!

要望に応えていくうちに、高度なほぐし織の記述や絣染めの技術が発展していったのだと感服しました。デザインとともに職人の技術も高められていったのだと思います。

ハッとさせられるようなデザインと色の組み合わせに驚き、着物というジャンルだからこそ実現できるオシャレのかたちなのかもしれません。

日本の民族衣装である「着物」には現代では思いつかないような表現力にあふれているのだと、つくづく思います。

「たんすのこやし」にせず、
気楽に着物を着てお出かけする人が増えたらうれしいです。
私もその一員として、お正月には着物で初詣へ行こうと思います。

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