今も未来への通過点でしかない

ここ1、2年、「いまの時代の価値観について行けない」と思うことが増えた。

コスパやタイパを求めすぎたり、多様性を認めすぎて色んな人達が自己を正当化してあらゆる主張をしていたり。

人気のタレントやアイドルに惹かれなかったり。若い人に人気のYouTuberやインフルエンサー的な人を受け入れられなかったり、大好きなお笑いも、賞レースに出るほどのコンビを見ても面白いと思えなかったり。

ドラマも「こんなシチュエーションあるわけない」とか、歌を聞いても「中身ないなぁ」とか「早口すぎて何言ってるかわかんない」とか。

お店の接客「そんなんで許されるの?」とか。

職場においてもそう。働き方改革の名につけ込んでサボり始めた人たち、妥協で済ませる風潮や、休みを多用する人とその代わりに発生する理解者側の業務、社内に増えるZ世代。

テレビも面白くないものが増えたように感じるし、SNSで取り上げられる話題も、嫉妬心から誰かを悪者にして騒いだり。権利ばかり主張する人間がおこした問題。揚げ足取り。

世間で注目を集めたり、正当化されたり、評価される物事や人と、自分の価値観との乖離がどんどん大きくなり、でも無理して受け入れることもが できず、「時代の価値観に自分が合わない」「なんか、つまらない。時代も人間も。」と、モヤモヤ、イライラしてきた。

しかし気持ちに変化をもたらしたものが3つあった。1つは元日に起きた能登半島地震。

ニュースやSNSなどで情報を収集したが、人が人を思いやり、助け合っている姿を見聞きした。もちろん前述のような問題もあったが、「人が人を思いやる心」がまだ日本にはたくさん残っていたんだと再認識した。

2、3個目はドラマ「不適切にもほどがある」と「GTO」だ。
どちらも、私の気持ちを代弁してくれるシーンがありスッキリしたと同時に、今この時代この瞬間も、未来にとっては過去であり、私が嫌がる「今」のあれこれも、ゆっくりと変化していくんじゃないかな、と感じた。

そして、今ここで記したこと、時代に対してあれこれ言ったのは、「テレビ」と「SNS」と「職場」という今の自分の周り、すぐ手に入る媒体だけに偏っている。結局ごく一部の人間じゃないか、、、

世界は広い。自分の周囲の小さな世界でおきた事だけで、全てを見たような気持ちになるのは良くないと改めて思う。

10年前と今でも、職場において変化がある。今では考えられないような言動やルールがあったように、10年後にはもっと違う未来があるはずだ。

もしかすると思っても見ない方向に進んでるかもしれないし、自分がいま「おかしい」と感じているルールは改良されているかもしれない。

もちろん、自分自身のアップデートも必要だが、何か正しいかは自分の心の中に信念として留めておいたら良い。必ずしも時代に合わせて自分の本音まで変えなくてもいいのだ。

そんな風に思ってみて、少し未来に希望を抱く今日この頃。

同志を支えに、そして自分を大事に、毎日を積み重ねていこう。変わったっていい。結局は自分が幸せになれることが大事なのだ。

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