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きみの「あの人」だって、本当は


「私はあの人に生かされている」

楽しかった記憶があるおかげで、私は今日も生きている。

今はもう縁が離れて会えない人、距離が遠くて会えない人、もしくは“本当の意味”で会えなくなってしまった人。
記憶の中でしか生きていない人。それは、曖昧な思い出の中の主役。
あなたにとっての「あの人」は、どんな人なのだろう。



私の中の「あの人」は、時間が進みすぎて会えなくなってしまった過去の人だ。今も普通に生きているけれど、私の知っている「あの人」は居なくなってしまった。

お父さんのことだ。

人は、何年経っても受け入れられない変化を必ずどこかで抱えていると思う。みんな言わないだけで、聞かないだけで。
大好きだった父が変わってしまったことを、ずっと拒絶して生きてきたが、18歳を迎えてからは何とも思わなくなった。会えば普通に話すし、会わなくても問題はないし。
ただ、いつも頭の中には父がたくさん遊んでくれた頃の思い出があるし、それさえあれば、これから先、お父さんがどれだけ自由に生きてたとしても「勝手にしなさい」と言えた。


あの人に生かされている、と言ったって、結局思い出しているのは自分なんだ。記憶の中で、「あの人」を都合よく編集している。記憶に生かされているなんてすごいもんじゃない。生きているのは自分自身だ。

自力で生きてることを、どうして私はそこまで誰かのおかげにしたがっていたのだろうか。
私は一体、いつまで家族が家族じゃなくなった瞬間のことを引きずって生きていくのか?もうそんなことは、誰もが忘れたのに。

頑張っているのは自分だから、誰かに無理やり恩を感じたりするのはもうやめたい。
恩を感じることで、どんな罪も許しましょうという気持ちになることは、やめたい。

許せないことは許せないまま、静かに離れればいい。必ずしも受け入れる必要はない。


楽しかった記憶があるせいで、私は今日も誰かに優しくして生きている。

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