日記・家族のお話

先週、私の父方のおばあちゃんが危篤状態に陥ったと、父から連絡がありました。

一緒に暮らしたことはないし、家もちょっと離れたところにあったので、毎年年始に会う程度でしたが、私のことは相当可愛がってくれていたと思います。

私が小さい頃、おばあちゃんは犬を飼っていたのですが、おばあちゃんが足を悪くしてからは、父の妹が犬を引き取ってお世話をしていたそうです。
とっても可愛い女の子のワンちゃんでしたが、かなり前に老衰で亡くなってしまいました。


高校2年生の夏だったでしょうか。

おばあちゃんが入院したのです。入院をすることはしょっちゅうあったのですが、その時は父が出張に出かけていて、私と父の弟である叔父しかお見舞いに行けないということだったので、電車に乗って、病院へと向かいました。

状態は、落ち着いているように見えました。

体を少し倒した状態ではありましたが、私たちと会話をすることもできましたし、いつも通りの表情をしていました。



ご飯の時間になって、叔父は先に帰ってしまいました。
私はと言うと、特に何かあるというわけでもなかったので、「ご飯を食べ終わるまで一緒にいるよ」と伝えました。

その日出たご飯は、麻婆豆腐。
あとは、餡がかかった厚揚げとみかんも出ていたと思います。

「私、麻婆豆腐嫌いなんだよね」

おばあちゃんはそう言って、麻婆豆腐の入った深皿の蓋を閉じました。
そういった病院食というのは、患者さんに合わせて計算されて配膳されているものですから、本来はちゃんと食べなければいけないのですが、お構いなしに自分の好きなものばかりをゆっくりと口に運んでいました。

きっとみかんは食べるだろうと思って、皮を剥いてあげたことを、私は忘れられません。

私とおばあちゃんの思い出と言えば、この日のことを思い出します。


父から「危篤だ」と連絡があって、すぐに病院に飛んでいき、特別に面会をさせてもらいました。

そこにいたのは、意識のないおばあちゃんでした。
正直、怖くてベッドサイドには近寄れませんでした。
自分もいつかこうなるということ、父や母のこういう姿をいつか見るかもしれないということ、これまで目を背けていた現実に、突然直面したことが怖かったのです。

病院の先生というのは、はっきりモノを言いますから、「今亡くなる可能性もあります」と言っていました。

ですが、このまま命を繋ぎ止める可能性もあるそうで、それは僕たちにもわからないと、先生は言っていました。


あれから1週間が経とうとしています。

どうやら、状態は改善も悪化もしていないそうです。
毎日おばあちゃんのことが頭によぎりますが、私には何もできません。普段の生活をすることが、私が今できる「私の命」に対する精一杯の誠意です。

この1週間、私にとって楽しい変化もありました。
新しい挑戦もしました。何事にも恐れずに飛び込みました。


今を後悔しないように生きること、それはクサい言葉に聞こえるかもしれませんが、本当に大事なことなのです。

今を真剣に生きることは、誰にだってできるはずです。

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