【問い】20歳私の結婚観


結婚とは、何もかもが違う二人が、一つの家庭を築いていく誓いを立てること。

私の人生に、結婚というイベントは発生するのだろうか。

最近、しつこく考えていることだ。
べつに、特別な人ができたわけでもなく、ただ単純に「私は家庭を持つのかな」と考えたときに、自分のぼんやりとした結婚観に対して、あまりにもぼやけすぎていると思ったから、再度考え直してみようとこの記事を書いてみただけだ。



私という人間は


私は、人と行動するのが得意ではない。
人とご飯に行くと、今はご飯を食べればいいのか話をふっかけるシーンなのかを見分けられず、ただひたすらご飯を食べてしまう。
相手は、食を通して私と会話したいと思ってくれてるから一緒にご飯に行ってくれてるのに、向こうがくれた話題に対しても相槌は訳のわからないものになってしまうし、結局のところ、何か一つに集中することしかできないのだ。

だから「ここ美味しそうだな」と思ったお店には、一人で行く。(ご飯屋さんだけではなく、行きたいと思ったところには一人で行くようにしている)
自分のペースを乱されるのが嫌なのではなくて、相手のペースを掴めないから、人と出かけるのが怖い。

それでも、一人で出かけるのはそこそこ楽しいし、なによりも自由だ。
そういう生活を、今後も送っていけたらと思う。


私の結婚は


私の結婚は、こういう「一人でも楽しいと思えること」に相手が参加したら、もっと楽しくなる人とするといいんじゃないかなと思っている。
これは逆も然り、相手が「これは自分一人でも楽しめることだけれど、君がいたらもっと楽しくなる気がする」と思ってもらえたらすごく嬉しい。

私は、相手の苦手なことに対しては触れたくない。
私が人と行動することを苦手とするのと同じように、もし相手に不得意なことがあったとしても、それはきっと何年一緒にいても「理解」はできないだろう。
けれど、「認めること」はできる。
そうなんだね、と知っておけば、あとはそれ以上のことってどこにもないと思う。たとえば、結婚を機にそれを克服しましょうだとか、そんなことはいくら家族になったからといって簡単にできることじゃない。
誰かのために治そうとするのなら、その必要は無いし。


誰かと同じ苗字になっても、同じ屋根の下で同じ釜の飯を食べる仲になったとしても、ひとりはひとりのままでありたい。
二人になったから変わらなきゃいけない、変えさせなきゃいけないと考えるようなことは、ない方がいいと思っている。


うわついている


私の言うことは、大体ワガママだ。
世間的には「はい?そんなうまい話、ありませんよ」と思われるような、うわついた事ばかりを思っている。

そもそもだけれど、結婚ということ自体がうわついていることなのだ。
現実離れしたイベント、大切な転機。

だから、結婚に対してどんな気持ちを抱いていようと、結局みんな同じ。
容姿やスペックとしてこんな人がいいな〜、みたいなものはさておき、相手との暮らしや生き方ではこうでありたいな〜という希望に関しては、心の中にしっかり住まわせておくといいんじゃないかなと思う。


私は恋愛経験も少ないし、結婚とは今のところ縁がない。
既婚者から見たら「甘い」と一蹴されるような文章を書いてしまったかもしれないが、これが他でもないリアルなうわつきだ。

こんなふわふわとした理想を、現実の中で叶えられる日が来たら、それはとても尊い事だし、何度もあることではないのだろうなと思う。


恋愛、結婚。場合によって、その先には出産や子育てがある。そして最期に迎えるのは、死。

死だけは、愛した人にも愛された人にも、平等に訪れることに、私は小さな安堵を覚えている。
しかしまあ、そこまでの道のりは果てしない。理想と現実のあいだをかき分け、生き抜かねばならない。

結婚観の話をしていたのに、結局人生観に近い話になって締めようとしているが、人生観こそが結婚観に繋がっているのだと思う(100%繋がっているというより、80%ほどだと思うけれど)

私はここまでこう生きてきましたよ、と嘘偽りなく人に話せる程度にならなければ、私は結婚できないだろう。



とりあえず、今の生き方を満足するものにしていくこと、それが私にとっての私らしい結婚観を創り上げていく肥料になると思う。

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