永遠に輝こう

昨日、脳神経外科に行った。
本当にお年寄りが多かった。お年寄りしかいなかった。

初診の受付をしている際、車椅子で来院するおじいちゃんを見た。

「後ろ、車椅子通りますね」

私は「すみません」と言って、体をキュッと細めた。
車椅子というか、上半身を寝かせることができるベッドのような形をしている車に、真っ白い髪の毛、真っ白い肌のおじいちゃんが横たわっていた。

私の検査と診察が終わった頃、そのおじいちゃんも診察が終わったようで、連れの方が私の横に座っていた。

連れの方は、すごく熱心におじいちゃんに話しかけていた。ここがどこか、今何時か、なんで待合室に人が待っているのか、連れの方は全部おじいちゃんに教えていた。でも、おじいちゃんは返事をしない。

(歳を取るって、こういうことなのか…)
(おばあちゃんになるの、やだなぁ…)

つい、思ってしまった。こんなこと思うの、失礼だと思っている。だって、どんな人も最後は年老いて誰かの手を借りて生きていくことになるのだから。自分に限ったことじゃないのに、なのに歳を取ることがすごく怖くなった。

帰りの電車で、音楽を聴きながら思った。
この音楽を楽しめるのは、あと残り何年なんだろう。この足でこの地を歩くのは、あと残り何年なんだろう。友人や家族と口をきけることは、あと残り何年なんだろう。
この目が見えなくなるまで、あと残り何年なんだろう。

美しいものを捉えてきたこの目。
大好きな人の匂いを知ったこの鼻。
優しい音を聴いてきたこの耳。
祖母の手作りの料理を味わったこの口。

いつまで機能するんだろう?

年老いていくこと、死にゆくことは、私たちが生まれた時から定められている宿命だから、避けることはできない。私たちはただ、時を待つだけだ。
でも、この瞬間も確実に「機能しないその日」へと着々と進んでいるんだ。

私は、年老いている人が怖いって言いたいんじゃない。自分が年老いていくのが怖いと言っているんだ。
すべてのお年寄りが、全員可哀想だとは思わない。家族や友達と楽しく人生を歩んでいる人だってたっくさんいる。けど、自分は一人っ子だし、このまま結婚しないで独り身のまま生きて、そうしたら面倒を見てくれる人がいないから、そんな自分がお年寄りになったら私は自分のこと「可哀想」って思うはずだ。

本当に、本当に本当に怖い。
どうやったら歳を取ることが怖くなくなるのだろうか?

若くても、お年寄りでも、みんな一生懸命生きてる。
命は平等だ。
残された時間と、置かれた環境と、機能を成す部分は、不平等だ。

ニコニコ笑いながら歳を取る必要はないから、せめて、気持ちだけは“teenager forever"でいたい。
山登りをする健康的なおばあちゃんにならなくてもいいから、高カロリーなものでもなんでも美味しいものを美味しいと感じていたい。

私がおばあちゃんになった時、この文章を読み返したら、何ていうのかな。

私のことだからきっと、「はぁ?!」とキレたあと、過去の私に何か文章を送ってくれるはずだ。

おばあちゃんになった私へ、
歳を取ることが怖くなって、誰かに当たらないでね。年齢に逆らうなとは言わないよ。ただ、気持ちはいつも「あの頃に戻りたい」って思っててほしい。そしたらきっと、「あの頃」の方からあなたに寄ってくるはずだから。


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