太宰を読む夜

ベタに中学生の頃太宰治を一通りさらった


大人とされる歳になって思うが、中学生は太宰治など読まない方がいい。教科書に載っているなんてなんてことだとさえ思う。というか本など読まない方がいい。いい影響ばかりではない。ソースは俺

人間失格は然ることながら、斜陽やヴィヨンの妻は読んだ後10数年にも渡って心、というか感受性や思考の傾向に妙な引っかき傷を残す。初めて読んだ頃から10数年と言うだけで死の間際に思い返したとなればそれは数十年にも及ぶのかもしれない。

人が多少嫌いなのは何も私だけではないと思う。いわゆる「ぼんやりとした不安」を抱いているのも、人生の波の中に没落した経験を持つ人も世の中には沢山いるはずだ

いわゆる社不。社不気味の人。グレーな人。

その誰もに太宰治はいやーな影を落とすのだろうと思う。主人公に僅かでも共感してしまったら、同情してしまったら、自分と重ねてしまったら、その救われないような逆に救われたような終わりを迎える物語の数々にさらに不安を煽られる。

夜中になんて読むと最悪だ。次の日本当に陰鬱な人間として日頃のそれに輪をかけたように顔色を悪くして会社に出ることになる。かと言って体調を崩している訳では無いので早退もできず仕事はこなさねばならないし、無駄に疲労感と絶望三歩手前程の気持ちを家に持ち帰ることになる。読んだことを後悔する。

でもどうして何度も読みたくなるんだろう。

物語の内容に関係なく馴染む小説というものはある。言葉の選び方や改行の仕方、句読点の置き方、リズム感や構成などが何となく肌に合う。私にとって太宰治の作品はおそらくその辺のフィーリングが合うのだろうと思う。恐らくこれしかない。そうだそうに決まっている。

作中の登場人物の言動に本当は共感も学びも得ているなどとは思わないし、もしそうであったとしてもそう簡単には認めたくはない。

だってこいつらてんでダメダメなのだ。酒、女、金、薬、政治活動。だいたいこれらの要因でダメになる。というか元からダメそうだったところに拍車がかかる。

なにか学びを得ていたとして、せいぜい反面教師扱いだ。

どなたか太宰治作品中に最初から最後まで聖人君子だった者を見つけた方はどうか教えていただきたい。

ハッピーエンドなんて無かったように記憶している。感心する心洗われる終わり方もしない。でも何故か何度も読んでしまう。

まぁ、今や青空文庫で無料で読めるし、オーディオブックでも聞ける。一度読んだ本はその後も読みやすい。中学生の頃に読んでいたこともあって思い出補正などもかかり手に取りやすいのだろう。

でも読む前に分かっている。
読んだってろくな事ねぇと。

いつか太宰の作品を読んでもへこたれない心を持ちたい。1ミリも共感できずつまらないと投げられるほどになりたい。なーんか悲観的になっちゃってさ、馬鹿なんだ、こいつ。だなんて鼻で笑ってみたい。なんなら興味を失いたいよ。

太宰を読んで唯一心に残しておきたいと思った言葉はひとつだけ。

「ただ、いっさいは過ぎていきます」

善かろうが悪かろうが気張ろうが怠けようが
泣いても笑っても喚いても
全てのことはただただ過ぎていく

ほんとつくづく、救いのないようで、救いのない事実こそが救いとなるような

もう読みたくはないが、どうせまた読むんだろう

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