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数パーセントに満たない生存率の恋愛を私は生き残る

私は強迫性障害を患っている。

中学生くらいから(現在23歳)自覚症状はあって、今年の9月、初めて精神科に行き診断された。

私の主な症状は「窓を閉めたか、電気を消したか何度も確認してしまう」「恋人の過去に執着して元カノのことを何度も聞いて悲観的になってしまう」

他にもあげたらキリがないくらい毎日いろいろなことに強いこだわりを持っていて、自分が安心するまで確認作業を何度も何度もしてしまう。

正直、窓とか電気の確認を何度もしてしまうことはもう生活の一部になりすぎて苦痛すら感じなくなってしまっている。

今年の6月頃から急に恋人の過去が気になりだして、起きている時間のほとんどを不安定で沈んだ気持ちで過ごしていた。

具体的な不安要素は、元カノとどんな性行為をしてたのか、どんな所に行ったのか、本当にもう連絡を取り合ってないのか、、、( ;  ; )

自分だけが考えて苦しめばいいのに(確認して自分が安心したいが為に)それを恋人に質問責めして、(優しいから正直に答えてくれた)知りたくもないことを知ってまた確認したいことが増えて、、、( ;  ; )

ほんとにほんとに苦しかった。恋人にも相当なダメージだったと思う。りくくんほんとにごめんね、😿

過去なんて変えられないのだから考えるだけ無意味。りくくんはたくさんの愛情を私に捧げてくれて優しい言葉と行動でいつも私を包み込んでくれる。

頭では全部全部分かってる。なのに心がついてこない、、、。

ただただ手を繋いで美味しいご飯を食べて笑って過ごしたいのに、考えたくないないことが頭に住み着いて邪魔をして、私達から笑顔を奪っていった。

街中で見かけるカップルが羨ましくて仕方なかった。(もちろんみんな言えない悩みを抱えながら必死にもがいて生きてると思う)

どうしてこんなややこしい障害を抱えて生きなきゃいけないのか、どこにこの不安と恐怖とイライラをぶつけていいのか分からなかった。だからこそいちばん近い存在のりくくんに当たってしまっていた。

どうしようもないからこそ声を荒げて泣いたし、りくくんにマイナスな言葉を投げつけたしりもした、。笑っている時間より泣いてる時間の方が長かった。ほんとうに消えたなくなりたいくらい自分が情けなかった。

夏が終わる頃、私の心は完全に疲弊し切っていた。ご飯は喉を通らなくなり、友達といても心と体が重たくて楽しいと思えない、何もする気が起きない、明らかに自分が壊れていく感覚が怖かった。

9月、そんな私を救おうとりくくんが精神科に連れて行ってくれた。

そこで強迫性障害と中等度のうつ病だと診断された。

先生の話を聞いていると自然と涙が溢れてきた。ちゃんと病名がついてほっとした気持ちもあった。

初めて病院に行ってからもう3ヶ月以上経つ。結論から言えば正直、完治するのは無理なのかなって思ってて寛解を目指して毎日過ごしてます…( ;  ; )

そんな中でもうつ病は軽等度になったし、強迫観念として何度も頭の中に出てきてしまうりくくんの過去にも自分なりに向き合えてると思う。

肌寒くなる頃、りくくんの家の近所に野良猫ちゃんがやってきた。私達はその猫に「にゃあぼ」と名前をつけた。猫に名前をつけることは最も尊いことのひとつだ☺︎

にゃあぼは気分屋さんだから毎日は会えないけど2人と1匹で過ごす時間は心がとても穏やかでいれる。

こうやって繰り返す毎日の中で小さな幸せが溢れないように丁寧に繋いで今日までふたりで過ごしてきた。

私の障害のせいで同じような言い合いを何度もして泣いて、大好きだから大嫌いになる時もあって、、だけど親よりも私のことを理解してくれて味方でいてくれる。

来年、桜が散って緑になる頃に同棲を始める約束もしている。だから今はふたりで「初期費用等のお金を貯める」という同じ目標に向かって頑張っている。

もしりくくんと付き合う前に戻ることができて、障害で苦しむ日々が待ってると分かっても、私はりくくんと付き合う選択をとると思う。

これから先、私はりくくんに何ができるのだろう。

りくくんとの数え切れないかけがえのない思い出たちがいつか昔話になってしまうその日まで、私は全力でりくくんに向き合っていきたい。

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