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空っぽ

正気か?と思うことであふれかえりすぎていて、もう何もやる気がなく「プライベート・ライアン」を見たあと「ビルとテッドの大冒険」を見るくらい精神の不安定さが半端ない。どこもかしこも歪んでいて平らなところがなく、普通に立っていられない。地面がガタガタなので立っているだけでめまいを起こす。東日本大震災のあと余震が多すぎて、今揺れてるのか自分が貧血でフラフラしてるのか分からなくなってしまった感覚に似てる。 

ずっと好きだった友達が空っぽだと言うことが今日分かった。空っぽは軽薄だとか浅薄だとか悪いイメージしかなかったけど、友達の空っぽさを知ったあと空っぽの良さは寛容さだと思った。安倍晋三が空虚な器だったと誰かが言っていたのを思い出した。彼には信念などない。明確なビジョンも理想もない。だからその空っぽの器に周りの“トモダチ”が色々入れることができたのだ。それが彼の寛容さだ。だから長い間総理でいられた。権力を持ったら信念も理想もいらない。持たないほうがずっと裸の王様でいられる。裸でも王様だ。それだけが欲しい人なら信念も理想も邪魔なだけだ。

友達の優しさも寛容さも器の大きさも空っぽだからだと考えればしっくりきた。私がずっと友達に求めていたものは彼女ではなく、彼女のその空っぽの器だったんだ。

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