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切り取った風景から、続く物語

花屋から出てきた若い父親が、幼い兄弟にラッピングされた一輪の花を手渡した。幼い兄弟はきょとんとした顔つきで、目の前に差し出されたから条件反射で受け取ったという風。歩き出した父親の背にぴたりとくっついて歩き出した兄弟の隊列に、思わず口許がゆるむ。

さては母親への贈り物だな、と推理する。翌日はホワイトデーだ。幼い兄弟たちにしてみれば、チョコレートをもらったお返しなんて想像もしていないに違いない。けれど、母親の笑顔をみて、天使みたいに素敵な表情を浮かべるのだろう。

3回目のワクチン接種の副反応からようやく回復してきて、図書館に向かっている途中の出来事である。事実はともかく、切り取った風景から、こうしたありふれた幸せを思い浮かべられるのはさいわいなことだ。これが少しでも心が荒んでいると、兄弟が花を届ける相手は、父親の恋人ということになる(それはそれで、話としてはおもしろそうだけど)

図書館で予約していた本とは別に、恩田陸の「隅の風景」を借りた。国内外の紀行エッセイで、旅先の風景や印象から新たな物語の予感をにおわす恩田ワールド満載の1冊だ。本当はずっと手元に置いておきたいと思っているのだけど、欲しいと思っている単行本版は新品での入手が難しく、中古でもなかなか巡り会えない。

療養中、ベッドで過ごすのにも疲れて、ソファでだらけながら録画番組を流し見した。とある番組で、推しのひとりが「歌っているとき、あるいは逆に何もしてない時に幸せを感じる」と発言していて、余白を楽しめる人って素敵だなあと思った。

心に余裕がない時ほど、何もない時間に放り込まれると、理由なき焦りや不安に苛まれる。しかし本来、何もない時間というのは不毛でも、無価値でもない。自分を空っぽにして、新しいことに取り組む気力を養ったり、心にずっと引っかかっていたものをかき集めて形にしたり。

何もない時間ほど、実は豊かに過ごすことができる、それが理想なんじゃないか。

少し前に物語と装丁は、絵画と額縁の関係性に似ているとnoteに書いた。そうしたら、隅の風景の冒頭でも、額装への記述を見つけて、嬉しくなった。

絵を飾るようになって、額装の楽しみというのを体験した。額の素材や色、幅を選ぶのはもちろん楽しいのだが、版画やイラストを額装する時は、ちょうど着物の伊達襟のように、枠にする部分と絵のあいだに、ちょっと違う色をほんの数ミリほど重ねるのである。この色を選ぶのがどても楽しい。

図書館への帰り、100円ショップに立ち寄って原稿用紙を買った。最近、ゲームも読書も何をする気分にもなれないときに、ぺらぺらめくって目に止まった文章をていねいに書き写したら思いの外夢中になったからだ。手近のノートやコピー用紙でも良いんだけど、このくらいのボリュームで原稿用紙1枚なのか、というのを可視化してみたいという欲もあって。

生産性とか、創造性とか、それに費やす時間も素晴らしいけれど、それだけがすべてじゃなくて、いいんじゃない。来週はエッセイweekにしよう。

日曜の夕方から人もまばらな映画館へ。充実の週末でした。


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