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「やりたいことがない」は問題ない

やりたいことがないんです。ただボーッと生きてて時間を無駄にしているように感じます。自分の好きなものがわかりません。

私はこのようなことを色んな人に言ってきました。学生って、何にでもチャレンジできる無敵時代!だと思っていました、今も思っています。でも、やりたいこと、熱中してることがなくて、せっかく学生なのに気づいたら高校2年の冬になっていました。

担任の先生にそのことを話すと、「やりたいことがないのは悪いことじゃないし、これから見つかっていくから大丈夫。みんながみんな、やりたいことがあるわけじゃない。」と言われたのですが、そうなのか〜、と思いながらも納得できないでいました。私の目にはほとんどの人が、何かに熱中していたり、好きなものがあるように写っていたからです。担任以外の先生や、先輩、大学生に相談しても、だいたい同じような答えが返ってきました。

大人の方と話せる機会があって、私はそこでも同じ相談をしました。その方の答えは、好きな作家さんの言葉を引用しながら、「やりたいことがある人が『夢組』それを一緒に叶えられる人が『叶え組』。世の中はどうしても、夢組を取り上げがちだけれど、夢を叶えるために一緒に実現に向かって走っているのは叶え組。やりたいことがない時は、誰かの夢を一緒に叶えてみるのもアリ、その過程で自分のやりたいことが見つかるかもしれない。見つかったらその時夢組に変われば良い。

今までモヤモヤしていた部分がスッキリとして、叶え組として誰かの夢を一緒に叶えたい!そう思いました。さっそく周りの人にやりたいことを聞いてみましたが、私が想像していたものと違いました。周りの人が教えてくれた、その人の「やりたいこと」は、時間やお金をかけなくても、達成できるものだったのです。私が思っていた「やりたいこと」というのは、時間やお金を費やしてまで熱中して取り組みたいことでした。それから、私が興味を持てるもの、一緒に達成したいものはありませんでした。

私がこの時に学んだことは大きく2つ。時間やお金を費やしてまでやりたいことがある人は本当にほんのわずかであること。人と自分で興味のあることは思っているより違うこと。

自分のやりたいことが見つかるまでは、叶え組として、他の人の夢を一緒に実現させていこうと思います。しかし、やはり自分もやってみたいと思うものでなければ、夢組も叶え組の熱量に差が出て、一緒に達成するのは難しくなると思うので、夢ならば何でも良い、ではなく、一緒にやりたい、と思えるものに限りたいと思いました。

現時点では私が思う「やりたいこと」にはまだ出逢えてないけれど、「やりたいこと」に対する考え方が変わったことが、私にとって大きな意味となりました。

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