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語ることの意味

最近自分が感じている事、考えている事を言葉にして他者に伝えたり、書き残したりする事の意味について、時々考えてしまう。

誰に頼まれた訳でもない。誰かの役に立つような内容でもない。誰かにとって、私が感じる事、考える事など、取るに足らないどうでもいい事なのに、なぜ伝えようとするのか。書き残したい衝動が湧きあがるのか。

なぜなんだろう。

つまりは、私は世間から見て立派な大人であるはずの現在の年齢になっても、いまだに自分が誰だかわかっていない、という事なのだろう。

自分が好きなものを好きなまま暮らせたら後は特にこだわりはない、などとぼんやり考えて生きてきたが、ぶっちゃけ私は、本当に自分が好きなものなど何も分かってはいないのではないか?と疑惑を持ち始めてもいる。
社会から組み込まれた「多分大筋はここだろう」といった常識をベースに、ひっくりサブカルに走る自分とか、ダサくて我ながらびっくりする。サブカルは、純粋に愛する人たちこそが美しいのに。

私の愛なんて、その程度のものか…と思うと、枕を涙で濡らせるくらい悲しくなる。

何者かになることなんか、とうに諦めているけれど、いや諦めた体でいたけれど、自分の空っぽさを受け入れられなっただけなのかもしれない。

いまだに「自分はこんな人間です」と形作れない私は、究極にださいな、と思う。

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