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信号待ちですら。

こんにちは。山室彩です。
今日は「信号待ちしている姿ですら、その人の在り方を現している」というお話です。

街中で信号待ちをしている時に、グルリと辺りを見回すと、
信号待ちをする、と言っても人それぞれだなぁと感じます。

足を揃えて立つ人、足を開いて立つ人。
ずっとスマートフォンと睨めっこしている人。
落ち着かない様子でソワソワしている人。
すっと、前を見て凛とした雰囲気の人。

一人ひとりの雰囲気は、イコールその内側の状態、すなわちその人の在り方が表現されたものだ、と言うことです。

私は、「声、表情、所作を通して自分の内側を整える」ということをお伝えする仕事をしています。

もちろん、これら声、表情、所作は人に与える印象を左右するものですので、どちらからというと、相手から見られている、という場面において意識することが多いように思います。
簡単に言うと「よく見られるため」の手段としての声、表情、所作となっている。と言うことです。

これらのことを、手段、方法として捉えてしまうと、何か目的がある時にだけ意識するということになってしまいますが、
私たちの毎日は、何気ない瞬間の積み重ねがほとんどを占めていて、
誰かの目を意識していない時の方が、よっぽど誰かから見られているし、
誰かの目を意識していない時の自分が、より素の自分に近いはずなので、
人の目を気にして、よりよく振る舞おうとすればするほど、素の自分とのギャップに違和感を感じるようになります。

だから、いざと言う時の為に自分を磨くのではなく、
何でもない時にこそ、自分から表現されることを整えておく。
そして、いつどんな場所に行っても、いつも通りの自分で在る。

そんな、声、表情、所作とのお付き合いの仕方が、より自然なことなのではないかな、と思うのです。





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