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「嫌悪感」は「うらやましさ」の裏返しなのかな

爽やかな日曜日、夫が見ているyoutubeを、なんとなく一緒に見ておりましたら、”あいつ”が突然やってきたのです。

”あいつ”はそう、嫌悪感。

友人たちに励まされながら感動のゴールをハイタッチでたたえ合うランチューバ―の動画を見ながら、大人な私は「すごいねぇ」とにっこりしながら微笑んでおりましたが、実は胸に広がるどろどろした感情が露呈しないよう慎重に振舞っておりました(ΦωΦ)。

たとえばほかにも、「気の合う仲間で登山してきましたぁ!」的なログだったり、顔出しして素敵なマイライフを披露する一般人のインスタを見ても、何とも言えない「・・・(ΦωΦ)ふぅぅぅん、で?」という気持ちになるんです…。
特に、同年代で、しかも同性だったりすると、もうだめで、自分の中のどろどろとした感情が、キラウエア火山の溶岩のように「どろどろどろろろろ」と噴き出します。


あ!この記事を飛ばそうとしているあなた、ちょっと待ってください。
違うんです。私も人並みにそれを「素敵ねぇ」「楽しそう!」、そしてできれば「私も仲間に入れてほしいわぁ」とにっこり笑える人になりたいのです。

これまでの人生の中で、何度かはハイタッチをするような場面もあったような気がするし、体育祭や発表会の後のはしゃいだ気分に酔った若い日の記憶もあります。インスタに顔を出す勇気はないけど選びに選んだ後ろ姿を載せたこともありますよ、そりゃ。
でもでもでもでも、なんででしょう。無性にぞわっとするんです。
はぁぁぁ、この感情をハイエナにでもくれてやりたいと思いながらどろどろとした気持ちに翻弄される50歳。

『あなた、それはうらやましいのよ。自分に正直におなりなさい』と金髪の天使が私に優しくささやきます。
『お友達が多くて うらやましいんでしょう?』
『本当は自分がやりたいから うらやましいんでしょう?』
『”絆”が うらやましいんでしょう?』
『充実してそうで うらやましいんでしょう?』
『こころが通い合ってる仲間がいて うらやましいんでしょう?』

確かに「仲間がいる」ってなんか人間としてまっとうな感じがして否定できないし、「人は一人では生きていけない」とか、”絆”とか、反論でもしようものなら、人にあらず的な世の中ですし、インスタに顔を出してる彼女は明るくて友達も多そう。

でも、なんか、すっきりしないまま 私は今に至る。
うーん、うらやましいきもちは確かにあるが、いいなぁ~という気持ちはたぶん20%ぐらいだ。
じゃあ、あとの80%はなんだ?

っていうか、私がただ単にひねくれてるだけっていうオチだったりしそうである。でも、私は知りたい。この気持ちの正体を。
というわけで、50にして天命を知るには程遠いのでした。












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