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ボルケーノ! 革命の起こし方

毎年行われているWinter Intensiveだが、実は毎年、様々な騒動が起こるらしい。なにせこの集中講義は、グループの変容をコンフリクトとダイバーシティを「つかって」促そうという試みの場でもあるからだ。

私たちのクラスで、もっともチャレンジングな出来事は、なんと最終日にやってきた。話しても話しても、やり切れなさや不満が残る私たちの5週間の学びを「Integrate(統合)」しようと、最終週の担当講師のレアは、あの手この手で頑張った。けれど、なぜかこの日まで空気は戦争状態だった。

ここまできてグループを崩壊させまいとするレアの力技で、その日は朝のチェックイン(参加者が一言ずつ体調などをシェアする、おきまりの時間)をスキップして、5週間の経験を総括するためのワークのデモンストレーションから始まった。発言のタイミングを待っていた数名は不満げだ。

経験豊富なレアなのに、その時のデモンストレーションは、まるで上手くいかなかった。とにかく時間がかかる。部屋の中にはだれた空気が流れていて、気がつくとクラスの半数近くがいない。隣にいた仲良しのセヨンが、この日のクラスを欠席して近くで遊んでいるらしいネイトのFacebook投稿を見せてくれた。

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「このコースは僕を空っぽにした。おすすめできるか分からないね、はは」

胸がざわざわとした。

様子を確かめようと席を立ち、廊下に出ると、あちこちで小さなミーティングが行われていた。5週間を並走するチューターのイリーナも一緒だ。私はその光景に少しワクワクして、「え?ここでも授業?」ってふざけてみたり、(廊下で)真面目にテキストを読んでいたジョンに、「ねえなにしているの?」って、話しかけたりしていた。

なんの合図もなかったのに、みなが一斉に部屋に戻ると、レアが苦労して長々と続いていたデモンストレーションがやっと終了したところだった。

すると、さっきまで廊下でミーティングをしていたサヴァンナが立ち上がった。

「私はここで伝えたいことがある」

そういってサヴァンナはパフォーマンスをはじめた。コンタクト・インプロヴィゼーションダンスの踊り手でもあるサヴァンナは、抱えていた感情を踊りで表したのだ。とても美しかった。

そして、ふたたびグループ対話がはじまる。対話により傷つくことも多かったグループメンバーからは悲鳴のような声もあがり、「僕はもう耐えられないよ」と、ジョンは部屋を去ってしまった。けれど、あの時、私たちのグループには、最後まで対話を諦めないという強い意思が色濃くあったんだと思う。いまになって思い出すのは、対話の結末よりも対話のプロセスで揺れる自分自身の心を感じながら、互いの心情を思いやってサポートしあっていた仲間たちの真剣な姿だ。本当に勇敢でかっこよかった。

この最終日の騒動をケイコは「革命ってこうやって起こるんだなって思ったの」と教えてくれた。彼女の観察眼と見立ての能力たるや。

噴火はつづく、どこまでも

サヴァンナの行動には、たくさんの前段がある。私たちのグループでは、誰がが怒ったり泣いたりするのを、火山の噴火になぞらえて、「ボルケーノ!」と冗談めかして笑っていたものだ。

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学びの1週目から、噴火は断続的におきていた。特に見事だった噴火の話をいくつか。

まずはシャンタール。グループ対話の時、部屋の隅にいた彼女が突然大声で叫んでみなの輪の中に飛び込み、床を叩いて叫び続けたことがある。この時、彼女が何を言いたかったのかは分からないけれど、実はシャンタールは女優なんである。その見事な発声による叫びぶりには圧倒された。

そして、そんなシャンタールにいつも反応して声を荒げてしまうのがアミール。なにやら怒鳴り声にトラウマがあるらしく、恐怖心で強い拒否反応をとってしまう。彼の行動はパターン化していたので、周りが気づいてサポート。最後のグループ対話では、見事に反応パターンを克服していた。

叫んでいたのは参加者だけではない。2週目の講師のスティーブも雄叫びをあげていた。ユダヤ系の彼は親族にナチスによる虐殺の被害者をもつ。その民族としての痛みが、彼の心の底から、雄叫びとなって湧き出てきたのだ。これは本当に怖かった。

そして、日本人のケイコも見事に噴火した。グループで一番英語が苦手だった彼女は、みなの輪の中で、日本語で啖呵をきったのだ。

そういえば私も1週目から講師のビルに泣いて怒って楯突いていたし、こう書くとWinter Intensiveはなんとも物騒な学びの場である。

言葉にならない想いだから

ある夜、宿泊していたホステルが一緒で、リビングでいつもおしゃべりしていたアメリカ人のネイトが、手のひらを広げてひらひらさせながら、「噴火はセレブレーションだよ」と言った。

それを見たカーシャと私は口をあんぐり。

日本もカーシャの国ポーランドも、人前で怒鳴ったり叫んだりすることが、文化的にタブー視されているからだ。

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ネイトは言う。

「噴火が起こってはじめて立場が明らかになる。それからやっと対話が始められるんだ」

そう、ダイバーシティの多様すぎる価値観の輪の中では、誰がいつどんなことで不快になったり違和感を感じたりするのかわからない。それに、ではその不快や違和感が、何に起因していていったいどうしたいのかなんて、すぐには論理的に説明なんてできやしないものだ。感情はただ湧き上がってくる。その感情は予知不能なタイミングで火山よろしく爆発するのだ。

感情的な爆発を、議論がめちゃくちゃになったなどと否定的に捉えず、まだこのグループに生まれてきていなかった赤ん坊の泣き声だと捉えて、丁寧に聴き、読み解いていけば、それまでよりも少しだけ、誰にとっても居心地の良い状態が実現するはずである。

実際に私たちのグループは噴火を繰り返し、火の粉にあたって火傷したりもしながら、グループの器を育ててきた。中身はひっちゃかめっちゃかなのに、器としての信頼度は比例して育つ感覚があったのが不思議だ。

そう、だからFreedom of expressionなんである。人は、表現は、芸術は、噴火したっていい。いや、むしろ、くすぶらせているぐらいなら、噴火すべきだ。声にならなくても、どうにか何かで表したらいいんだ。

ネイトの話に納得したらしいカーシャが、私を誘う。

「ねえアヤ。明日、グループの中でみんなで叫んでみない? ポーランドに帰ったらできないもの」

双子の片割れ、カーシャはいつも、可愛くて意地悪な妖精みたいなことをしたがる。ここはアメリカで期間限定の学びの場だから、泣いても叫んでも、みなが受け止めてくれる。日本に戻ってからも、噴火する自由を、私は私に許せるだろうか。

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