私の百冊 #22 『実力も運のうち』マイケル・サンデル(機会平等がもたらすディストピアと、呪術廻戦が描く道徳哲学)

はじめに

noteに投稿すること自体、かなり久しぶりになってしまった。中でもこの「私の百冊」と勝手に銘打ったマガジンは、「#21 ロリータ」を最後にまったく更新できていなかった。そう、できなくなっていた。
せっかく百冊を選ぶのだからちょっとカッコつけたいよなあ…と考えてしまったのだ。自縄自縛と言っていいだろう。――というわけで、カッコつけずに選び直した最初の一冊が、サンデル先生の『実力も運のうち』である。

なんだよ、やっぱりカッコつけてるじゃねえか、はッ!――と思われた方もおられるかもしれない。しかし、僕にとってサンデル先生の本を取り上げるのは、「カッコいいこと」には分類されない。カッコいい本とは自然科学・人文科学・翻訳小説を指すのであって、社会科学はカッコよくない。なぜなら、社会科学はちょっと役に立ちそうだからである。
「ちょっと役に立ちそう」という評判は、学問にとっても芸術にとっても、なんとなく安く見られているように感じられるものだ。学問や芸術の評判に於いては、なによりもまず、「一般市民にはなんだかよくわからないこと」が重要である。学問や芸術における「らしさ」いうやつは、なんだかよくわからない…からこそ感じられるものなのだ。

そう考えてみればおわかりのように、サンデル先生の『実力も運のうち』は、「なんだかよくわからない」どころか、ものすごくわかりやすいし、今を読み解こうとする際に、とっても役に立ちそうである。
たとえば、昨年の暮れから始まったChatGPT狂騒曲に関して見ても、
『大規模言語モデルは新たな知能か』(岡野原大輔著、岩波書店)
→生成系AIは網羅性と正確性を担い、人間は創造性と意思決定を担う。『ChatGPTと語る未来』(リード・ホフマン著、日経BP)
→生成系AIは非自律的なツールであり、使うのは人間である。我々はこの強力な武器を手に、未来という不確実性に立ち向かおう!
――この知的エリートたちのAIに対するポジティブな姿勢は、まさにサンデル先生が描いて見せたディストピアそのものではないだろうか?

ChatGPTが生み出すディストピア

そう、すでに皆さんもご存じのように、本書の核となる主張は、「氏より育ち」を真に受けてリベラルな政策を究極まで推し進めると、この世界はディストピアになるよ――という議論だ。
よく知られているように、学生の家庭環境がもっとも豊かなのは東京大学である。それは何故かと言えば、豊かな家庭は子供の教育に十二分なお金をかけることができるからである。従って、学費無償のような機会平等化政策こそが正義なのだ!
……というリベラル派の議論が、最終的にこの世界をディストピアに変えてしまう。なぜなら、高校卒業まですべての子供たちに同レベルの個別学習の機会――優秀な家庭教師がすべての家庭にやってくる!――が与えられたとしても、相変わらず、東大生の家庭がもっとも豊かなままである可能性が高いと考えられるからだ。
……と、サンデル先生は主張する。言うなれば、稀にトンビが鷹を生むことがあるにしても、基本的に、鷹は鷹から生まれるから、である。

そしてこのディストピアは、もうすぐ目の前にやってきている。すべての家庭に優秀な家庭教師が提供されようとしているのだ。

この動画はつい先日、それこそ東京大学の先生が行った講演のアーカイブである。四時間以上もある長い講演だが、わずか2ヶ月で7万回以上の再生回数に到達した。
本講演の結論は、ChatGPTに代表される生成系AIは子供たちに個別指導をしてくれる、である。信じられないという人は、この動画を3時間半くらいまで見てほしい。ChatGPTの驚嘆すべき実力を垣間見ることができるだろう。
すなわち、すべての子供に家庭教師がつく時代は、すぐそこまで来ている。「氏より育ち」の「育ち」が平等になる。そうなれば、もはや家庭環境のせいにはできない。
では、鷹ではない僕らは、僕ら自身を、そして僕ら自身の子供を、いったいどうすればいいのか?

『呪術廻戦』の道徳哲学

サンデル先生の主張――実力ってやつも所詮は運のうちに過ぎないのだよ――は、この世界に於いて普遍的な法則である。なぜなら、それは生化学に基礎を持っているからだ。生化学は平等である。ヒトはヒトの遺伝子を持って生まれる。生化学の世界では、トンビは鷹を生まない。
そしてこれは、『呪術廻戦』における伏黒恵の名セリフ:「不平等な現実のみが平等に与えられている」と同義だ。そして、サンデル先生の解――恵まれて生まれた者は謙虚であらねばならない――もまた、「少しでも多くの善人が平等を享受できるように俺は不平等に人を助ける」と続く伏黒恵の信念と対応していると言えるだろう。

この『呪術廻戦』という作品は、まさに「不平等な現実≒血筋≒親ガチャ」に対して、自分は(あなたは)どのように向き合うか?を問うた作品である。呪術師である主人公たちばかりでなく、様々な登場人物たちが、このテーマと否応なしに向き合っていく。これが、2016年くらいから始まった日本の若者たちの心境の変化だと言っていいのではないか?

もちろん、巷には相変わらず、「転生すれば最強勇者になってハーレム状態、ひゃっほー!」というバカ丸出しのコンテンツが氾濫しているのも事実だ。しかし、こいつに酔っているとロクでもないことになるぞ……とも、若者たちは考えはじめている。
サンデル先生は「恵まれた人間は謙虚であらねばならない」という、或る種のマナーを推奨するが、果たしてそのような軟着陸を期待していいものか? 正直なところ僕は、伏黒恵の「俺は不平等に人を助ける」こそ、人の矜持に訴えかける態度だと思っている。

承認欲求という言葉が氾濫して久しいが、伏黒恵の「俺は不平等に人を助ける」「人を測るモノサシは俺が決める」と同義だ。このようなコンテンツを浴びて育つ子供たちの未来に、謙虚さなどといったナイーブな世界が待っているとは考え難い。――というのが、僕の現時点における感想だ。

本書に限らず、サンデル先生の議論は実に有意義に「我々の今」を考える機会を与えてくれる。
しかし本書に関して言えば、
・これから読む人はアニメでいいので『呪術廻戦』と一緒に、
・すでに読んでいる人はアニメでいいので『呪術廻戦』を観て、
目いっぱいに想像を膨らませて欲しいと思うのである。(綾透)


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