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#4 夜職に染まるまで《ホスト編》

集団寮での生活は想像できないほど過酷でした。
僕の想像している集団寮は各個人に最低限の個室がある、もしくは2人1部屋ほどは与えられる学生寮のようなものでした。しかし、入居した寮は間取りは2Kに対して4人での生活、また各個室などではなく奥の部屋に行くには手前の部屋を経由しないといけないため、プライベートは完全にない状態でした。さらに、その寮に入っている方々というのもR社長がスカウトして集めた人材です。年齢も職歴もバラバラですので、考え方もバラバラで寮の中はゴミ屋敷そのものでした。

先述した通り、月収は10万円を切る金額から寮費(当時1人1万円)、割り勘の水道光熱費、自身の携帯代などを引くと残る金額は約7万円。さらに食費、消耗品などを7万円の中から捻出しつつ、もしも女の子との予定が入れば出しますし、美容室や化粧品の美容代も考えると残るお金は無く、その日食べるものも無くなると日払いを余儀なくされます。
最初私の働いたお店の日払い金額は1日2,000円です。その中で2〜3日分の食事を賄っておりました。自炊をすればもっと余裕を作れると思う方もいらっしゃるかもしれませんが、上記の通り、ゴミ屋敷で最低限の家電しかない寮の中での自炊はとてもできず、ドン・キホーテの安売りのカップ麺と2Lの水がほとんどの食事でした。

このような生活が約半年間は続きました。
そんな生活早く辞めて、普通の仕事について一人暮らしをすればいい。そう思う方がほとんどだと思います。私も当時その考えがなかった訳ではないです。しかし、親の反対を押し切り、自分自身の小さなプライドのために大学を辞め、後先も考えず飛び込んだ業界です。この状況でまだ年齢を若いため、親を頼って地元に帰り働くというのが一番現実的な手段かと思いましたが、親を頼るという方法は絶対にあり得ないと思っておりました。当時の現状を抜け出そうと考えるとお金の面では親以外の選択肢はありませんでした。売れるしかない、自分自身の力で這い上がるしかない、何度も復唱し言い聞かせました。なによりも当時、同期で入った同い年の人間からいじめに近い行為を受けたこともあり、見返したくて仕方なかったです。僕は人間の原動力とはまずは好奇心、次に悔しさだと考えており、その2つが強く胸にあったので、絶対に売れると堅く誓いました。

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