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「残念ながら、不合格です。」
これで4度目だった。絵を描きたくて、私だけの絵を作りたくて、美大を目指して、必死に絵を描いてきたのに。美術部の活動時間の他にも、朝学校が開く時間と同じ時刻に登校し、ホームルームが始まるギリギリまで美術室に立てこもって、キャンバスにむかっていた。各休み時間に早弁までして、昼休みもずっと絵を描いた。美術部の活動が終わったら、入試の時に持っていって試験官に見せるためのスケッチブックに、デッサンも、デザインも毎日書いた。毎日2つずつ、描いていたのに。
国立のAOもダメ、前期も後期もダメ、滑り止めだと思っていた私立もダメ。才能がないとは、こういうことなのだろうか。努力よりも才能の方が勝るのは、きっとこういうことなんだろう。もう絵を描く気力も体力もなかった。
センター試験はたまたま受けていた。私の高校は、何がなんでも全員、就職希望者以外全員、センター試験を受けなければならなかった。だから私もなんとなく勉強はして、とりあえず学校の名前に恥じないようにそこそこ努力して、受けていた。自己採点は、勉強してないのに取れて、全体的に6割くらいだった。必死に勉強してこの日に賭けていた人達より点数が良かったのはとても申し訳なかった。
センター試験を受けてそこそこの点数を取れていたことが吉と出たのか、3月の最後の最後に、センター試験の点数と学校の成績で合否を決めるという募集要項を出した大学に、受験を申し込むことが出来た。底辺私大の文学部だった。日本語文学専攻だっけ。なんか知らないけど、とりあえずそこしか受けられるところがなかった。

合格発表の日は、いつも以上に緊張した。最後の最後だから。これでダメだったらアルバイトするしかないから。恐る恐る大学のページを開いて、受験番号を入力して、画面をクリックしてみる。
「おめでとうございます!合格です!」
赤くて明朝体で書かれた大きな文字とともに、パソコンの画面には桜が舞った。
あああ。私大学生になれるんだ。絵は描けないけど、大学に行けるんだ。絵を学べないことより大学生になれることが嬉しすぎて、私はボロボロと泣いていた。母親も抱きしめて喜んでくれた。

それからというもの、4月の頭にはもう入学して学校に通わなければいけないから、間に合わせのスーツを買って、適当に安い家賃のアパートを契約し、リサイクルショップで買った安い家具家電をアパートに運び、持っていきたい服をたくさん持ち込んだ。これで私は絵と縁を切るんだ。寂しいけれど、悔しいけれど、文学の勉強に集中するんだ。そう割り切って、画材を全て美術部の後輩に譲り、鉛筆1本すら残さないで、私は新しいスタートを切ることにした。


地元はまだ雪が降っていると言うのに、こっちはもう桜が満開だった。あぁ、こんなに早く桜って咲くんだ。ニュースでしか見聞きしたことのなかった環境に自分は置かれているんだ。その感覚はどこか他人事で、別角度から私自身を見つめているようでもあって、なんかしっくり来なかった。
大学のキャンパス内は、満開の桜とサークル勧誘の先輩方で埋め尽くされていた。

「ねぇ彼女!軽音サークルどう?ギターとかやってみない?」
「そこの君!テニスでいい汗流してみないかい?」
「アカペラサークル、dot lineでーす。皆さん一緒にハーモニーを奏でてみませんかー。」

とりあえずうるさかった。私はどれも興味がなかった。チラシをいちいち貰っても、多分、この後輩は押しに弱いって思われるだけなんだろうなぁ。そう思って、片耳だけにさしてたイヤホンをもう片方の耳にもはめた。音楽は聞いているふり。何も聞いてない。耳栓代わりのイヤホン。ウォークマンも充電切れ。電源が入っているとしても、曲は何も入ってない。めんどくさくなった時用の、耳栓だから。
イヤホンのおかげで1枚もチラシを貰うことなく、先輩の群れを通り抜けることが出来た私は、謎の開放感に満ち溢れて、自然と笑顔になっていた。耳栓を外して改めて外を見ると、ここのキャンパスは桜の木で校舎が囲まれていて、一面が薄桃色の雪に埋もれたような場所なんだと気付く。

突然、私の周りをつむじ風が襲う。
「ひゃっ!」
一瞬で目の前が真っ白になる。同時に、スカートも宙に浮いてしまったので、舞い上がった布を必死に太ももに押し付けた。
現代からタイムスリップした瞬間のアニメ映像みたいに、ハラハラと、サラッと去っていった桜の奥には、木の幹にもたれながら本を読む男性が1人、存在していた。直感的に、時が止まったような感じがした。そこだけは世界が違かった。全身に静電気が走ったように、ほんの一瞬で瞳のフォーカスが定まって、その勢いでシャッターが切られて、網膜から脳へ、しっかりと造影された。
あぁ、これだよ。
いつの間にか私は走っていた。画用紙と、2B、3B、4Bの鉛筆と、練り消しゴムと、パステルを買って、アパートに駆け込んでいた。参加自由のオリエンテーションなんてもう関係ない。参加しなくていいならしなくていい。今は大学どころじゃない。脳に焼き付いたあの瞬間を、今の気持ちを、全部そのまま、鉛筆に込めたい。画用紙に残したい。
日が沈んでいるのも気にせず、ただただ勉強机のライトだけで視界を照らして、無我夢中で鉛筆を走らせる。何度も鉛筆をカッターでけずっては線を描き、あの瞬間を残すことに全てをかけた。食欲も睡眠欲もなかった。わかなかった。絵を描くことだけが私の欲であり、本能であるような気さえした。
髪の毛、服、幹、花びら、本。鉛筆の濃さや太さを若干変えながら、質感を表現していく。固いものには硬い鉛筆を、柔らかいものには柔らかい鉛筆を。消しゴムで完全に白くしたくないところは指でぼかしたり、練り消しゴムで擦ったり。納得が行くまで、何度も何度も描いては消して、ぼかしてを繰り返していった。


気付いたら日をまたいで1時になっていた。こんな時間まで集中して描き続けるなんて、今までの私にはなかった。達成感と空腹感と疲労感と眠気が一気に襲ってきて、私の体はバグを起こしているかのようだった。机の上の画用紙を見て、なんとなく納得がいった絵が描けたような感じがした。お腹すいてるけど疲れたから寝よう。消しカスをまとめて、ゴミ箱に投げ入れて、着替えもしないままベッドに体を投げた。新品のマットレスのふわふわした感覚と、何の色にも染ってない匂いに包まれて、私の意識は遠のいた。

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