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出力の加減が難しいんです、私たち・・・

今日は、前職の同僚と久しぶりにランチ。
同じ過酷な組織で育った仲間なので、

  • 仕事は全力でやるのは当たり前

  • 何なら120%の出力を求められている

  • できるのか、できないのか、ただ、それだけ・・・

という仕事観をベースに刷り込まれている私達。
なにせ、新人の頃からそういう厳しい仕事観の先輩に鍛えられてきたわけなので、、、

頭では、それをやり続けたら、身体か心が壊れるということはわかっていても、

仕事の出力を120%を100%にすることはともかく、100%を80%とか70%とかにするなんて、怖くてできないのです。

  • 怠けてる?

  • さぼってる?

  • 罪悪感を感じる・・・

「そんなのはダメだー!!」と、思ってしまうからなのです。

でも、40代半ばにして、この出力調整がいかに大事か、最近ヒシヒシと感じています。

理由は、

  • 年齢的に気力も体力もフル出力とはいかない

  • フル出力する程、モチベーションが湧かない(もう成長とか自分に求める感じでもないし、、、)

  • 待遇が見合わないと感じるから・・・

静かな退職??

今日、タイムリーな記事を目にしました。

同じように感じている人は、国を問わずいるようです。

求められる以上の仕事に取り組まない従業員を「静かな退職者」と呼ぶ。一方、筆者は対価に見合うよう努力を調節する人にネガティブなレッテルを貼ることに疑問を呈し、「調節済みの貢献者」との呼び方を提案する。

日経ビジネス

「静かな退職(Quiet Quitting)」というワードも、初めて耳にしましたが、なるほど~!という感覚です。

「静かな退職」とは、組織に在籍しながらも契約通りの仕事だけを淡々と行い、退職したかのように精神的な余裕を持って働くこと。米国を中心にトレンドになっているキーワードで、仕事とプライベートの境界線を明確に引き、「仕事は仕事」と割り切ってやりがいや自己実現を求めない働き方のことを指します。米国では「Quiet Quitting」という言い回しで広まりましたが、日本語に訳すと「静かな退職」「がんばりすぎない働き方」などと表現されます。

日本の人事部

少し前なら、やる気をなくした「窓際族」のような社員をイメージしてしまいますが、、、
この、「静かな退職」について、Z世代にとっては、むしろ珍しくない価値観とも、別の記事では言われています。

「仕事をフル出力でやらなきゃいけないなんて誰が決めたの?」

っていう感じですよね、、、。

仕事よりも家族や自分の趣味の時間を大切にする人が増えているということでもあり、とっても健全だと思うのですが、

ある意味、会社に対して冷めた層でもあり、それは、会社や社会への諦めから来ている可能性もある・・・

待遇に見合う出力調整

う~ん、妙に納得してしまう自分が、少し怖いです。

いつまでも、組織にとってものわかりの良い、都合の良い貢献者であることは、そろそろ限界なのかもしれないですね・・・

いやぁ、少なくとも会社と人生共にするような生き方になるのは避けたいですし、待遇(収入だけでなく、納得のいかない異動や評価等も含め)が見合わなければ、どんどん心は冷めていき、出力調整したくなるよなぁ~ と。

会社と闘っても無駄だと思えば思うほど、そっちに走るよなぁ~ と。

先に引用した日経ビジネスの記事では、ネガティブなレッテルを貼るのではなく、「調節済みの貢献者」という呼び名を提案しているところも面白い!

合理的に対価に見合っただけの努力に調整をする従業員、つまり「調節済みの貢献者(calibrated contributors)」と呼ぶ

日経ビジネス

これからの時代、何も珍しくない価値観になるかもしれないですね。


『exit 消耗ループ=消耗ループから抜け出して軽やかに生きていく!』

消耗ループ』:私自身が体験した「無自覚に煽られ、駆り立てられ、走り続けるエンドレスな消耗感」
実は、これは、「私自身の思い込みが作り出していたループ」だとわかり、、、
このループから抜け出すために、私自身の実験・実践禄としてnoteで綴っています!

最後までお読みいただきありがとうございました。





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