「2代目は波風を立てるイヤな奴 家族と一緒に仕事をするということ」 序章
「不信」と「畏怖」は、似て非なるモノ
人間とは本当に面倒くさい生き物です。
ちょっとした経緯があって犬2匹と現在は同居しているのですが、その2匹の犬の方が「生物」としては優れている、と常に感じます。
餌を上げる素振りを見せると恥も外聞も無くただ「欲しい」「嬉しい」という感情をあらわに外に見せ、したくない事があればテコでも動かないという意思表示を誰に隠すこと無く表現し、他人の飼い犬に対して嫌いだという気持ちを何のしがらみも無く「唸りまくる」という行動で示す・・人間なんかより何百倍も素直で肝の座った生き物だと痛感します。
かくいう私も、現在はそんな「犬」と同じように生きて行きたいと思うようになりました。昔は180度違う考えを持った人間でしたが、人生には1度か2度ほど、自分を変えてしまう大きなイベントが起こる時があるのだと考えるようになりました。
そして、その大きなイベントを経て人が変わった現在の私でも、一筋縄ではいかない「面倒くせぇなぁ」と常に感じる事があります。それが、他人ではない「家族と一緒に仕事をすること」です。
両親が経営するコンビニで私がその仕事を手伝い始めてから、今年で7年目を迎えています。
「7年」という歳月の中で、それはもう本当に、色々な事がありました。
人手不足による地獄のような職場環境、生きるか死ぬかの戦場のような毎日の連続、「父と息子」「母と息子」「両親と嫁」「夫と妻」というクソ面倒くせぇ関係、世代の違いによる価値観のギャップ&それをさらに難しくする「他人ではない」という関係、そして、24時間営業を辞めるという大きな方針転換&同時に襲来したコロナ禍・・・
思い返せば、あっという間の数年間だったというのが率直な感想です。
そもそも私自身も、両親の仕事を手伝い始める前は10年以上勤め人をしていたのですが、それはもう本当に、色々な事がありました。180度違う人間に変わってしまったのも、勤め人を辞めた事がきっかけでした。
コンビニに携わる両親を小学生だった頃から間近で見て育ちましたが、自分が両親の仕事を手伝うという想いは、頭の片隅に1ミリも、これっぽっちもありませんでした。ありきたりな言葉ではありますが、「人生何が起こるか分からない」というのは、本当ですね。
「家族と一緒に仕事をするということ」・・・その「一筋縄ではいかない面倒くせぇこと」の中身は、簡単に表現すると、天気予報で言う「不信」のちに時々「畏怖」と表現できるのではないかと思います。
最初に「不信」が出てきます。それは、家族ではない「他人」と仕事をする時も同様に出てくる感情ですが、その不信の深さは、相手が「他人」よりも「家族」の方が深いと思います。何故なら、相手が他人であれば、「不信」の後に「拒絶」や「諦め」をすればそこで終わりますから。
「畏怖」とは、凄すぎて怖い、畏れ敬う、という意味です。それはつまり、自分が相手に負けていることを認めることから始まります。私が波風を立てまくるイヤな奴だったのも、自分の心の天気がいつまでも「不信」から「畏怖」へ変わらなかった事が原因かも知れません。
くだらない話が長くなりました。
この世界は単純明快、シンプルです。面倒くさくしているのは、私たち人間です。家族と一緒に同じ仕事をするということに、皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。
この記事では、「2代目は波風を立てるイヤな奴 家族と一緒に仕事をするということ」をテーマに、数十年という長い年月を掛けて共にコンビニを経営してきた両親2人の世界によそ者として入り、波風を立てまくり続ける二代目候補のバカ息子の話を書いていきます。
また、他にも異なるいくつかのテーマで記事を書いていく予定です。興味がありましたら是非、他の記事もお読み頂けたらと思います。
それでは今日はこの辺で。
このクソッタレな世界で戦う皆様と明日もともに。
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